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川北秀人さん(IIHOE)

オンパクのアドバイザーとして幅広くオンパクを支えてくださっている川北秀人さん                                                                                       今回はNPO法人ハットウ・オンパクの理事であり事業運営を担当している野上も一緒の対談方式でインタビューをさせていただきました。



川北 秀人さん 川北さんの個人ブログ
IIHOE[人と組織と地球のための国際研究所]代表者


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IIHOEは「地球上のすべての生命にとって調和的で民主的な発展のために」を設立目的に、「社会事業家のマネジメント支援」、「ビジネスと市民生活を通じた環境問題・社会的課題の解決」、「2020年の地球への行動計画立案」に取り組むNPOです。

このインタビューは、平成22年1月22日に鉄輪の入舟荘で立命館アジア太平洋大学4回生の石田奈々が行いました。



-まず現在のお仕事と、そのお仕事をされるに至った経緯をお聞かせください。

仕事の6割は、市民団体の運営のお手伝いです。残り4割の半分は、行政と市民団体との協働について、研究と支援をしています。さらに残った2割は、企業が社会的にまっとうな存在になるように、CSRのお手伝いをしています。収入もそれと同じく6対2対2ぐらいです。

始めたきっかけは、色々あるんですが、決定打はありません。結果的に影響が大きかったことを2つ挙げると、ひとつはやはり阪神・淡路大震災です。その時は30歳でしたけど、無職で、司法試験の受験勉強をしてました。現場のお手伝いにお邪魔してわかったのは、日本には、大きな市民団体がひとつあってもだめだ、いうことでした。

神戸には当時日本最大の生協があって、もともと市民活動が非常に盛んなところですよね。ところが、避難所に行ってみると、運営がうまく行ってない。企業も行政も何とか助けたいとは思っていたけれども、そこをちゃんと結びきる力が市民もなかった。

人間の身体でいうと、太い血管の修復や交換はどうにかできる。でも、毛細血管はできない。それと同じで、身体で言うと栄養や老廃物を送ったりするのは、末端がちゃんと機能してないとだめですよね。阪神・淡路大震災の時にそれを痛感しました。その後、2回目の司法試験を受けて、また落ちた。アメリカの法律大学院(ロースクール)を含めると、4年連続で落ち続けたわけです。さすがに「あぁ、向いてないんだ」と諦めて、仕事をし始めました。

もうひとつは、学生時代からボランティアみたいなことはしてました。国際的な冒険探検プログラム(オペレーション・ローリー)に参加したりとか、大学祭で当時最大規模のディスコのプロデューサーやったりとか。

その後、リクルートに入社しましたが、大きな会社の新人社員だったり、イベントのプロデューサーとしてよりも、ボランティアの方が、世界観が広がることに気付いたんです。ボランティアでも「代表」をやってると、会社の社長に直接コンタクトが取れる。普通のサラリーマンだと、あまりないですよね。小さくても、学生がグループをつくって、その代表として大きな会社や大きな役所の長に宛ててお手紙を書くと、ちゃんと返事が返ってくる。それなりにちゃんとした活動を続けてると、隣に座ってる人がすごいでっかい会社の役員さんだったりすることも、決してめずらしくない。そういうことが許されるのは、ボランティアか宗教組織ぐらいですよね。なので、会社でサラリーマンやりながらでも、絶対、ボランティアをやった方がいい。任される責任も、要求されるスピードも、成果の手応えも、まるで違います。誰かの成果じゃなくて、自分たちの成果っていうのを、20代前半に経験できたのは、すっごく大きかったです。

-ではその気付きがきっかけでNPOやろうかなという風に?


あっち行ったりこっち行ったりしてるので、正しく追っていくと、大学を卒業して会社に入って、人事や広報などを担当しましたが、少しは会社の役に立てたかなと思うのは、採用の支援、それも国際的な採用の支援です。日本から海外に行ってる留学生と、海外から日本に来てる留学生の採用、いわゆる国際採用の支援をやってました。僕は幸運なことに、リクルートの採用担当者としてアメリカと西欧で大学を回って、リクルートに就職してくださる人を探すという仕事をやってました。1987年の話ですけが、当時、日本とヨーロッパとアメリカの3大陸で採用活動をやった人って、3人しかいなかったんです。

-すごいですね。


(野上)え~3人ってわかるんですか?

お一人は有名なグローバル企業の人事の方で、もう一人はリクルートの先輩です。 僕は91年にリクルートを辞めたんですが、その理由は、弁護士の資格をとりたかったからです。採用支援の仕事を本気でやろうと思うと、どこかの国で弁護士の資格を持ってないとできない。丁度そのころ、EC(欧州共同体)がEU(欧州連合)に変わるときでもあり、ドラスティックに変わることがわかっていたので、国際採用の支援をリクルートは本格的にやるべきだって提言したんですけど、「なるほどね」といったレベルの認識だったので、「だったら俺がやるから、留学したいんです」って言ったんですが、ところがその当時のリクルートには経営大学院(ビジネススクール、2年間)への留学制度しかなくて、法律大学院(ロースクール、3年間)に行かせてもらえる制度がなかった。「じゃあ辞めて行きます!」って飛び出したのに、2年連続で落ちちゃった。その準備期間中は、現在の広島市長の秋葉忠利さんの秘書をやってました。国際的な議員連盟の事務局をいくつも担当していたので、アル・ゴアさんの通訳をしたこともありましたよ。

 さすがに、「2年も続けて落ちてたらだめだ」と思って、さらに勘違いして、日本で司法試験を受けようと思っちゃった。はっちゃん・ぶんちゃんの「ああ勘違い」っていう歌は、痛いとこついてるんですよ、個人的には(笑)。それから2年間は全く無職で司法試験の受験勉強してたんですが、その途中で阪神・淡路大震災が起きた。現場のお手伝いをして、戻ってきて試験受けて、また落ちた。ロースクールと合わせて4年も連続で試験に落ち続けた。「もうこんなことしてちゃだめだなぁ」と思って、たまたま学生のころから、まあNPOみたいなこともやってて、企業にもいて、永田町や霞が関のしくみもわかってますから。


(野上)そうですよね、確かに。海外の支援の状況も理解している…それすごいですよね。


まぁ一応。だから国内だけでも3言語しゃべれるわけです。「世の中語」と「役所語」と「会社語」がわかる。このつなぎができるやつがいないと、社会は変わんないって思ったんです。


(野上)そりゃあ、そうですわ。


それが95年6月です。すぐにいくつかの市民団体を掛け持ちして雇ってもらいました。
NPOの支援をする人っていうのは、その当時もいたことはいましたが、社会福祉協議会のボランティア・センターのコーディネーターさんとか、大学の先生が片手間でちょっと、みたいな状況でした。

何が問題かっていうと、プロフェッショナルとしてサポートしてない。たとえば、世界各国に支部のある国際的な自然保護団体って日本にもいくつもありますけど、先進国で最も会員数が少ない。それをどう増やすかという戦略に具体的に助言できる人は、誰もいなかった。ちらしをどう配るかとか、広告をどう載せるかという手法は助言できても、「現在の会員はなぜ続けているか」とか、「なぜ辞めちゃったのか」といった、企業なら当たり前にやってることができるコンサルタントが誰もいなかった。これをちゃんとやらないとだめだと。

当時の僕の最大の顧客は、有機などの農産物の宅配をやってらっしゃる「らでぃっしゅぼーや」という団体で、当時の年商が150億円ぐらいで、それを200億円にすることを目標にして、時給800円のアルバイトとしてスタートしました。お手伝いしたのは95年から99年までですが、99年には報酬が1000万円を越えました。
そちらには月曜日から木曜日までの朝9時から17時ぐらいまでいて、その後、18時から21時までは別の団体に行って、金曜日はまた別の団体、土曜日はさらに別の団体に伺って、日曜日にオリジナルの講座をつくってました。

-ノンストップですね。


そうです。でも、そうしないと起業なんてできるはずがない。だって、別府で温泉旅館を始めたいと思ったら、人の3倍働くでしょう?それと同じことです。

僕は最初の顧客に非常に恵まれた。当時日本で最大規模の有機などの農産物の宅配事業者と、留学したいがよく利用した「留学ジャーナル」っていう雑誌を発行してる、もともとNPOみたいな会社と、帆船を使って国際交流をやろうっていう団体だとかを、掛け持ちすることができた。すると、どんな団体にも共通の課題と、個々の分野や団体の特徴的な問題っていうのがわかってくる。共通のことは講座にした方がいいと思って、95年12月から「若いリーダーのためのマネジメント講座」っていう講座を始めました。

(野上)IIHOEとして組織を立ち上げたのは?

実質的には95年です。名前だけは94年にスタートしてたんですけど。本当は、「人と組織と地球のための国際法律事務所」になる予定だったんです。でも弁護士になれなかったので、今のところ15年間、IIHOEは研究所のまんまなんです。

(野上)法務をやろうとしたんですか?

そうです、国際法務がやりたかったんです。

(野上)ほう、すごいですね~。

いえいえ。でも、その問題って今でも大切なんです。たとえば日本人が中国に行って働くと、年金はどうするのって話になりますよね? ここで弁護士が登場して、この国の法律はこうなってますっていうやり取りが必要なんです。国や会社を代表して労働者を守るには、弁護士の資格が必要なだけでなく、国を超えて文化を理解するとともに、場合によっては法制度を変えさせる必要もある。でも、4年も続けて落ちちゃったあとは、市民団体の支援が本業になっちゃってます。

-月並みですが、本当にすごいですね。経歴に圧倒されてしまいました。


いえいえ。単なる挫折の連続です。

-では、そんな経歴を重ねながら、川北さんは野上にどういう風に出会われたんですか?


今、10年間ぐらい端折っられましたね(笑)?
野上さんとお会いしたのは、角野さんに連れてこられた時ですよね?

(野上)そうですね。あの…ツルタの食事の時ですかね。

そうです。2004年に、当時県の商工労働部長として、経済産業省から出向していらっしゃった角野さんのお引き合わせでした。角野さんとは、本省にいらっしゃったころに、インフォーマルな勉強会や飲み会で、何度かご一緒してました。とにかく現場に行きたい!って良くおっしゃってた方で、03年に大分県に出向することになって、すっごくよろこんでた。「そのうち呼びますから!」って言われて、翌04年に「由布院を見に来て下さい」って言われたんです。すごく関心があったので、喜んで来ましたが、その時、空港から由布院に抜けていく途中で、別府でお昼をご一緒させていただきました。そのメンバーが、鶴田さん(NPO法人ハットウ・オンパク代表理事)、菅さん、甲斐さん、栗田さんと野上さん。

 そのときに、湯路のお話だとかを伺って、「だったら、英国大使を呼んだらどうですか?」っていう話をしました。イギリスって、EUには加盟してるけど、ユーロには入ってないんです。それで「イギリスは湯路に加盟する」って、4月1日のエイプリル・フールにフィナンシャル・タイムズに記事書かいてもらったら、なんて話をしたのが、その時ですね。

 次にお邪魔したのは06年の4月で、全国でNPOの支援に携わる主な方たちとIIHOEが合同の、プロジェクトをその前年(05年)に行ったのですが、その慰労会として50名近くで伺いました。

(野上)そうですね。僕が「中間支援」など、全く知らないころです。意識のないまま受け入れてしまって。

 本当にありがとうございました。あの時以来、全国の中間支援に携わる人間が「別府は本当に面白い」って気付いてしまった。それから、いろんな人を連れてきては、野上さんに「すいませんけどちょっとこんな方の受け入れをお願いします」ってお願いするようになったのが06年ぐらいからで、そのころから、経済産業省もコミュニティービジネスやソーシャルビジネスの支援に予算を付けるようになって、オンパクが中間支援事業に採択されたのが、07年ですよね。

(野上)採択される直前に、これまた川北さんの紹介でこの分野の事業で進んでいたETIC.さんや経済産業省のキーマンが別府に来てるんですよ。川北さんから頂いたご縁のおかげでオンパクも全国に展開できるチャンスを得ることができました。


 それ以来、毎年みたいにお邪魔して。オンパクの研修のお手伝いをするようになったのは、函館の時からでしたっけ?

(野上)いやいや、その前のいちばん最初の別府研修からですよ。

 そうだ、その前の別府でしたね。

-そこで、オンパク面白いなっていう風に思われたんですか?


 面白くないですか?? 面白いでしょ? だから、気を付けないといけないのは、オンパクを面白いって伝えるのは簡単なんですが、何が面白さを可能にしてるのかを、ちゃんといろんな人に説明できるようになってないとだめなんです。

 市役所には市役所の論理があるし、会社には会社の論理があるし、市民には市民の論理があるじゃないですか。「どの人から見ても面白いね~」で終わっちゃだめなんです。「これをやっぱ続けないと!」とか、「やり抜かないと!」って思ってもらわなきゃならない。すると、どこがすごいかとか、特徴はこれよとか、核になる価値はこれですよみたいなことを、ご自身たちは気付かないんだけど、他のものと比べてどう違うかを説明するのが僕たちの仕事ですから。
もうひとつ、できてない人たちに、「そんなことやってる間はだめよ」って、ちゃんと突っ込んで言える関係を持つことも大切です。

-そういう流れでオンパクと関わり始めたんですね。


そうです。


(野上)だから川北さんがオンパクのことを知ったのは、おそらく…


2004年ですね、さかのぼると。


(野上)で、川北さんに本格的にオンパクの説明が出来だしたのが、大分県のコミュニティビジネス支援事業の「民子の夢弁当プロジェクト」のときに何回か別府に来られた時に、サロン岸でガイドブック見せながら、あんなことこんなことやってるんですよって。で、その辺で川北さんも面白いって思われて、それで仲間を別府に連れてきて、やってることを知ってもらおうって感じで、連れてきていただいたっていう。



2005年に第一陣でお邪魔して…あれから5年になるんですねぇ。


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(九州駅弁コンテストで二年連続二位になった「たみこの夢弁当」や別府のB級グルメの活動なども川北さんに指導してもらったコミュニティビジネス創出支援事業の成果なのです:野上談)



(野上)だから実は我々も、それから加藤哲夫さんとかああこんな人たちがいるんだっていうのを知ったんですね。こんな人たちが日本にいてやってるんだっていうのを。なんだかとても気持ちのいい人たちだったので。例えば会をした時も後片付けはみんなでやるとか(笑)。。で、僕ら竹瓦倶楽部っていうのは、そういうのをやりたかったわけなんですよ。まあそういうことを実践してる人がいっぱいいるんだっていうのはとても新鮮でした…。



 我々の仕事って、市民団体の運営を支援ですから、いいと思ったもののどこがよくて、自分の地域に当てはめるとどうかということを、バツっとわかんないとだめなんです。自分では最近、年に100ヶ所ぐらいお邪魔してお手伝いしていますが、その現場で、官と民との協働や地域づくりといったテーマでお話しする時には、半分以上のケースでオンパクのお話をご紹介してます。
 加藤せい子さん(岡山県総社市 NPO吉備野工房ちみち 代表理事)も、僕の記憶違いでなければ、鶴田さんのお話を聞いた前後に、僕の話を聞いてらっしゃるんです。佐土原さん(宮崎県 都城まちづくり会社、ボンパク(都城盆地博覧会)実行委員スタッフ)もそうですよね。


(野上)佐土原さんは完全に川北さんから薦められて、わけわからないまま別府でのオンパク研修会に来ましたね。いつの間にか、そこにいた(笑)


 僕も来てらっしゃるの知らなかった。佐土原さんは、宮崎県庁主催の協働についての研修に来てて、そこで僕がオンパクのお話をして、その後、僕の個人ブログに別府研修のことを紹介したら、それ見て来たんですよね。

 熱海の市来さんも、一新塾っていう、大前研一さんが作った政策学校の受講生で、加藤さんも僕もその講師なんです。僕の担当は受講生の提案への助言で、市来さんたちのグループが、「熱海の活性化やりたい」と。「オンパクは知ってるよね?」って言ったら、「それなんすか?」って。「あなた、温泉の活性化したいのに、オンパクも知らないの?」って言ったら、「すぐ行きます!」って言ってたけど。


(野上)遠すぎて来れなかった…(笑)


ですよね。でも、散々たきつけられて。


(野上)そのかわり市来さんは2月にいわきに行って里見さんに会ってましたね。


今回の別府研修に来てらっしゃる方たちも、半分ぐらいは以前から存じ上げてます。
行政や商工会議所の人たちがオンパクに取り組み始めても、なぜ動かない・広がらないかっていうと、お役目でやっちゃうからですよね。自分の人生や価値観をかけてやろうと思わない。やっぱそこがないとね。

昨日、野上さんはすっごく重要なことを3つおっしゃってるんです。「決定権限を人に渡さない」とか、「とりあえずやっちゃう」とかね。市民活動はみんなそうなんです。商店街の活性化なんかも、商店街組合を通じてやってると、難しい。できなくなっちゃう。だから、誰かが始めちゃったものを、嫌々でも押し倒すが如く、とにかくもう広げていく。だから、民主的にやった方がいいことと、非民主的にやった方がいいこととで言えば、立ち上げる段階は極めて非民主的ですよね。文化祭のテーマを決めるときに、合議制でいいキャッチコピーできるはずないでしょう。それと同じです。


(野上)三好先生(立命館アジア太平洋大学 大学院教授)もよく言います、まちづくりはアートの世界だって。まちづくりってアートの感覚が必要だってよく言うでしょう。皆で話し合って作る部分もあれば、感性でやっちゃう部分もありますね。


すると、プロデューサーは複数いるより、1人。「これはいい」とか「これはだめ」っていうのを自分基準で決めて、それがちゃんと後から説明できれば広がる。逆に、その人だけの世界になっちゃったら、その人と一緒にぽしゃっちゃう。


-では、川北さんはオンパクをどのように捉えてらっしゃいますか?



 非常に使い勝手のいい道具なので、とっつきは非常にいい。問題は、続けていくっていう気がないと、形になり続けないものだということ。インターネットも携帯電話も、使い方をちゃんと示していくことが大切で、ここからここまではいいけど、ここから先はだめ、みたいなことがどこかにないとだめです。


(野上)オンパクっていうのはある意味「ここまではオンパクでいこう・・」っていうのがあるのでいいと思うんですよ。そっから先はたぶん別のアプローチになるんだろうし。まあでもその先とか今はわかんないです。別府の場合、続けざるを得ないので永遠と続けてるんだけど(笑)・・展開してる地域はなんかどこかで、きったほうがいいんじゃないかっていう気はあるんですよね。


 世の中でね、固有名詞が普通名詞になるケースって極めて珍しいでしょう。例えばホッチキスとか、マジックとか。他にはあまりないでしょ? でも、オンパクって、動詞とか名詞として使われてる。既に独自の存在感を持ってる。だから、全体をプロデュースする側は慎重でないと。いいとかだめとかいうことは、気がついた時にパチャっと言わないと。


(野上)「オンパク」ってなんとなくイメージとして浮かぶようにはなりたいですよね。こんな感じで、こんな感じでっていう。若干誤解されたり馬鹿にされたりしてる部分はあるんだろうけど。(笑)


-それを(オンパクの手法を)広めてくださってるわけですもんね。


はい、勝手に。すいません(笑)。


(野上)広げてくれてるのは川北さんと、鶴田さんと、あとJTBの清水さんとか・・


もちろん、地域にとって、資源の顕在化にオンパクは向いてるけれども、その後の二の矢・三の矢が…


(野上)まあまあそうですよね。


 別府で言うと「じねたび」にあたるものを、各地域で考えさせなきゃいけない。昨日、敢えて「続け方」なんて話を聞いたのは、オンパクって「始まりの始まり」でしかないからです。

※じねたび:NPO法人 ハットウ・オンパクが提供する、別府生まれの、地元ネタを楽しむという新しい旅のスタイル
じねたび http://jinetabi.onpaku.jp/modules/jine/jinetabitoha.php


(野上)ですね。


 みんな、始まりの続きを想定してないんです。オンパクやってて疲れてしまうとすると。「自分はオンパクをやるので精一杯だ」と思ってる部分があるからで、それじゃだめなんです。 ゴールに向けたプロセスを組み立てる手段のひとつとして、オンパクっていうのがあるだけだからです。 その意味では、求められるのは能力的ではなくて、気持ちの奥行きとか幅として、「まだまだ先は見えないけど、がんばろう」っていうのが絶対に必要です。

 そういう意味では、オンパクは作品ではないんです。テレビシリーズの1シーズンとして考えてもらわないと。だから野上さんのおっしゃってる「とりあえず」っていうのが正しくて、「これしかない!」って思っちゃった人は、オンパクの準備に慎重になっちゃって、そのあとのことまで気持ちも段取りも届かない。でも「いくつかある手立てのひとつでしょ」って思える人が、ちゃちゃっとやっちゃって、転がっていきながら育てていかないと。でも、誰かからこのための予算をもらって仕事にしてる人は、だめですよね。その予算の枠中でしか、自分たちのやってる事業を評価できない。可哀想です。

-ではこれからオンパクはどうなっていくべきだと思われますか?


別府でコントロールしたほうがいいことと、そうじゃないことに分かれます。
別府でコントロールしたほうがいいことは、「オンパクってこういう使い方もあるよ。たとえば総社では、都城では…」と見せていくのが別府の役割。

 逆に、各地域が発信した方がいいのは、「テーマ別のパートナーさんの部会」。「全国で○○が得意な人」みたいな感じで、たとえば「全国まちあるきサミット」とか、「まちあるき写真部会」とかができてもいい。そういったテーマ別の部会を、せい子さんや佐土原さん、市来さんたちがつくってくださると、それぞれの個性が育つんです。逆に言えば、各地のオンパク・プロデューサーさんたちには、なぞってるだけの段階から早く卒業していただきたい。

 今、ジャパン・オンパクでつくってるデータベースで、「テーマを軸に集まりたい!」って思うようなことになってほしいんです。これまでに実にたくさんのデータベースができてますが、それはほとんど行政のおカネをもらってつくられたものなので、役所の担当部署別にできちゃってるんです。オンパクの全国規模で考えてみたときに、このテーマにはこういう人がいるよね、じゃあそういう人たちを意識的に集めたり動かしたりしよう、ということを全国でやるととすごくコストがかかるんですが、ブロック単位だったらできるかもしれない。


(野上)それは力をもったパートナーさんで、そういうこと出来る人が、ブロックに6つ5つぐらいのオンパク事業体ができてくると、そういう動きも出てくるんじゃないかって気はしますけどね。


そうそう! それができると、野上さんが考えてらっしゃる、別府以外で人が育つっていうことに結び付く。


(野上)人が動き出すというか。オンパク事業体が連携してもたぶん人は動かせないけど、パートナーさんがまたいで連携しだすと、たぶんそこに引き連れてる周りの人たちも含めて動くんじゃないかなぁと思いますね。そうなると、それだけで密度がありますよね、オンパクやってるっていう。今の密度だと全国で8とか10とかいう数字じゃまだ薄いかなっていう。



 だから、今から始めてもいいかなって思うのは、べストパートナーさんの内部表彰制度を、それぞれでつくっとくこと。で、ベストの人たち同士が、お互いにめぐり合う場面を…



(野上)パートナーさんの中でも、よく本当にやってる人たちにある意味お墨付きを与えていくということは、今度のポータルでね、やろうと思っているんですよ。このパートナーさんの事例って、全国的にもOKでしょうみたいな、そういうのはしたいねっていうか、するよね?(インタビュアーにプレッシャーを与える(笑))


 好き嫌いはあるかもしれないですけど、交わっていただくところまでは、一応おせっかいしといた方がいいだろうなと思います。


(野上)パートナーが全国の地域のパートナーの成功事例っていうのを、みんなが地域で表現できると、とても役に立つと思うわ。パートナーの事例を共有して、だって参考になる事例が結構あるんですよね。それは僕らは知ってるけど、例えば能登のね、高(タカ)農園の事例を知らないと思うんですけどね、そういう事例を共有できて初めて支援力になると思うんですよね。


 既に末田さんとか、今のスタッフにも、それぞれがお得意な課題や分野がある。それが、各地域の事務局長さんレベルに出てくるといいんです。たとえば「都城の事務局長さんはアートに強い」とかね。


(野上)なるほど。パートナーの事例共有っていうのは実は今までしてないんですよ、僕らオンパクは。それはやっぱり非常に必要ですよね。


 そうですね。今まではオペレーションやマネジメントの面をみてきましたが、今度はコンテンツの質に踏み込んでいかないと。昨日、敢えて伺ったのはそこなんです。コンテンツの質を上げなきゃいけない段階は、絶対くる。それは、コンテンツの質を自発的に高めさせるしかけづくりと同じ。マンネリ打破とクオリティー向上は、表裏の関係なんです。


(野上)そうか、そうすると、要はよその地域のパートナーさんの優れた事例を色んな地域で紹介しながら、クオリティーをあげていくっていうのができますよね、やろうと思えば。それをやりゃあいいんだ。


そうそう!


(野上)いやあそうやってね、段々話してると気付かされるんですよ。(笑) そういうの、やろうね。そういう人たちにロングインタビューをかけて、整理していこうね。(と、またまたインタビュアーにプレッシャーを与える)



 その時に大事なのは、見出しです。この人のどこがすごいのかが、最初の何行かでちゃんとわかって、拾い読みできるインタビューでないとだめです。逆に言うと、こっちもその人の特徴がつかめるように、他の人と何が違うのかという、ある程度の仮説を持って話を伺いに行く。あんまり思い込みが強いとだめですけど。

 昨日から今日にかけて、研修の受講者さんたちが別府で様々なパートナーさんたちと交流するときに、事前に「各パートナーさんのお話をまとめる担当」として3人ぐらいずつの班を決めたじゃないですか、あれと同じことです。しかも、今回は発表用の書式を与えた。自分が何を聞かなきゃいけないのかを、しっかり動機付けできてからインタビューに行くのと、ただ見て帰ってくるだけのとでは、吸収量が何十倍も違うんです。しかも、周りの人が「こういうことに気付いた」って言ってるのを聞いて、「そういえば!」みたいなのもある。強制発想法と言いますが、枠を決めといて「これを埋めなさい」って言われると、それを埋める精度の高さは、日本人はずば抜けてる。インド人とか中国人とかは、お構いなしに自分の好きなことを勝手に答え始める。でも日本人は、こちらの問いかけさえ正しければ、ちゃんと返ってくる確率が高い。

 それと同じことを、パートナーさんたちにも体験していただきたいんです。90年代に有機農業のお手伝いをしてたとき、日本の農業生産者をヨーロッパに連れて行くっていう視察をやったんですね。僕が事務局で、どこを周るかを全部段取りして、通訳もやって。その時に本当に面白かったのは、もうみんな成田でブーブー言ってるわけですよ。「忙しい」とか、「どうせ行っても勉強になることなんてねぇ」とか、「スウェーデンは違う」「ドイツはどうだ」とか。でもね、現地で生産者を訪問して、土を見た瞬間に変わる。生産者にとっては、土が世界共通の言語なんです。ちゃんとしてる農業生産者の誇りは、野菜じゃないんです。土なんです。「そうか、この人に、土の話をしてもらえばいいんだ」って気付いたころあたりから、めちゃめちゃ楽になりました。


(野上)土の話が世界共通の価値観になってるんですね。


 気候に合わせた土のつくり方があって、スウェーデンだと夏がものすごい短い。日本にもそういう地域はある。「ものすごい寒いとか、ものすごい暑くて、作物ができないって時にどうしてんの?」って話は、ものっすごい盛り上がるんですよ。そういうときは、通訳がいらない。カリウムなんて、カリっていったらわかりますからね。
それは、竹とんぼでもいいわけです。竹田で竹とんぼ作ってる人と、別府で竹とんぼつくってる人は、材質や教えてる対象は違うかもしれないけど、どうやったら竹とんぼを長くゆっくり飛ばせるかとかいうことになると、最初は「俺の方が一番に決まってる」って思ってるかもしれないけど、竹とんぼを見せ合った瞬間から顔色が変わるはずです。つまり、そういう共通言語をしっかり確認できる機会をつくってあげればいいんです。


(野上)オンパクというひとつの枠の中の共通言語っていうのはありますよね。あとは得意分野のジャンル別にわければそれぞれの専門の話にもなるし。


 普通にあいさつしておしまい、そのあとは腹の探りあい、みたいな交流会やってる間は絶対だめです。やっぱり誰かに前に出てもらって、「私はこうしてます」っていう話をカツっとやった後に、「あとはご自由に」っていってあげたほうが…


(野上)どんどん開示していってね。


 そうそう。「私はこうしてます」とか、とにかく手の内を早く明かさせることが、僕らの腕の見せ所です。


(野上)距離が離れてるとそういうのもしやすいですしね。でも同じエリアだと競合になってしまうから。そう考えるとオンパクってもうちょっと狭いブロックでいくつも出てきた時に、もう一回新しい別世界がみえてくるってことですよね。面白いですね。


 そういう意味ではテーマ別、あるいは困ってること同士を結び付けた「お題」別の部会ってのすごい大事です。


(野上)パートナーさん同士の連携ですね。


 そうです。それが事務局を育ててくれると思うんです。自分たちに要求されてる専門性や、刺激の仕方を、場づくりを通じて学べますからね。


(野上)場をつくればいいんだ、別に自分達が専門家になって伝える必要はなくて、会わせる場をつくる…


 そうです。どういう場をつくらないと刺激されないかって、野上さんはずっと考えてるでしょ?

(野上)それが支援力ですよね。


 そうです、その通りです。

(野上)あ、なるほど!俺らが別に支援する必要なくって、場をつくってこうパートナーさん同士をくっつけあって、そこでこうあげていけばいいっていうことですね。


 僕の仕事を見てらっしゃるとおわかりだと思うんですが、僕が教えられることなんてほとんどない。現実には「この人とこの人を結びつたら、きっとうまくいくぞ!」ってマッチメイクしてるだけです。


(野上)別府ではパートナーさん同士の、ジャンルごとのミーティングをやっていくと、オンパクのレベルもあがっていくと、そういうことですね。

(この辺りは、インタビューであることを忘れて、教えを請うている状態・・・すみません:野上)

 そうです! たとえば、あの方のプログラムの様子をビデオで撮っておいて、それを後からみんなで見ながらブリーフィングする。そこまでオープンな人がいない場合は、各自がいま工夫していることと困っていることを紙に書いて発表してもらって、知恵の出し合いから「現場を見せ合いましょう」ってことになったら、もう後は大丈夫です。


(野上)まあそういうのは擬似的には行われていくんですけども、回数的に僕らまだ少ないですね。

 パートナーさんの数が100を超えてくると、大事なのは、事務局だけが全部知ってるんじゃなくて、パートナーさん同士が意識し合える関係になるかどうかです。

(野上)その辺の場の設定の仕方がまだちょっと僕ら不足しているという感じですね。

ぜひ、これから。

-すごい勉強になります。


(野上)考えてみると当たり前のことなんですけど、・・忘れちゃう。

-笑-

(野上)そういうもんですよねぇ。


 コミュニティ・ビジネスってね、群れがないと育たないんです。群生以外、残りえないんです。コミュニティがあるから、コミュニティ・ビジネスだからですよ。コミュニティって、共有体です。ギブアンドテイクはマーケットですから。たとえば、隣通しに住んでるおばあちゃんとおじいちゃんは、何かをやり取りしてることはないわけけれども、たとえばお葬式があったらお手伝いに行くとか来てもらうとか。あるいはお茶を一人分だけ飲むのはもったいないから、2人分にしようかなと思って呼んでみるとかっていうのは、経済学者はそれも対価のやり取りだって言いますが、それは貨幣に置き換えることができない、損得の感情とは違う上位概念が必ずあるはずで、共有することのメリットなんです。その共有のメリット感を信じられなければ、社会も組織もできない。


-では、これからやってみたいことはありますか?
オンパクに関すること、それ以外のこと、よければ両方お聞かせください。



 オンパクの中では、さっき申し上げたような、テーマ別とかエリア別のコミュニティづくりで、たとえば防災とか障碍者の介護をやってらっしゃる団体同士が、お互いにパートナーや利用者になったりする状況を期待してます。

 個人的には、あと5年で50歳になるんですが、その時にやろうと思ってるのは、福祉と医療の一体化です。そのころの日本は、医療と福祉を分けてる場合じゃない。だからそれに備えるっていう動きを、50歳になったらできるように、あと4年でこの仕事を一応卒業するつもりでいます。


-そうなんですか。また次のステージというわけですね。


 決めとかないとね。いつかどうにかなるだろうって思ってる間は、絶対だめです。もちろん50歳の時点で瞬間的に変われるわけじゃありませんが。福祉と医療が一体的に経営できるようになるには、組織だけじゃなく、制度も変えなきゃいけないし、地域の人たちにも「医療と福祉が元で運営されたほうがいいよね」って納得してもらえるケースづくりが必要ですからね。

(野上)あの、漠然とオンパクを各地で…あ、本当はオンパクをやる地域っていうのはそんなに広くなくてもいんじゃないかって思ってまして。ある程度のエリアの中でやればいい…そこのオンパクやってる人なり組織のものじゃなくて、このエリアを経営していく組織が最初の名刺代わりにスタートするというか、有効なネットワーク作りのためのオンパクをやってほしいですね。で、ネットワークが出来たときに、じゃあ次にどうやってそこのエリアの経営をしていくかっていう部分が、それは観光地なら、例えばツーリズム系もあるだろうし。けどね、まだやっぱり弱いんですよ。それだけだとあんまり経営できるイメージがなくて、そこのモデルを完成っていうかつくっていかないといけないなっていうのはありますよね。


ね、(僕が)言ったことと同じでしょう?


-そうですね。



(野上)けどね、そこのエリアがあることで、そこのエリアがちゃんとコミュニティーでハッピーに運営できてるというのを多くの人がそこで認めてくれるっていう話なので、そういうものにしたいんですよ。そうすると本当にね、もっと強いですしね。 地域のマーケットって限られてるから、そのマーケットの中でこう…存在するとなると、ある職業だけじゃ多分そのマーケットじゃ成立しないけど。けど、そのサービスを逆に1年中やってく必要もないわけだから。時期とかに応じて変化しながら生きていく人たちがたくさんいれば、地域としてのサービスの供給は十分行き渡るしね。そういう感じにしたいんだよね。そういう地域のコアになる存在として、いわゆるオンパク事業的なものがやっぱりあって、っていう役割を、社会的に認知させたいんですよ。そういうのがいるなぁっていうのを。


 そうですね。昨日の三好先生の言葉を引き継いで言うと、「日本一」の別府は2030年ごろ、旅館の半分以上は介護施設に変わってます。だけど「世界一」の別府となると、世界中のお客さんを引きつける力は、まだまだあります。つまり、ステージを2つ持つ必要がある。すると、今後は設備の更新時には、単にバリアフリーなだけじゃなくて、将来は介護施設に転用できるかってことも考えてほしい。でも、一軒一軒がバラバラに考えたりやったりするんじゃなくて、一緒に組み立てないと・・

-あ、そろそろお時間です。今日はたいへんありがとうございました。




(インタビューをした個人的な感想)
何もかもが衝撃でした。(笑)
これだけ多くの経験を積み続け、どんどん新たなステージへ進み続ける川北さんの生き方は本当に格好よく、聞き惚れてしまいました。1時間という時間の中でたくさんのことを勉強させていただきましたし、川北さんというプロの視点でオンパクの課題や未来ことを聞け、これを読む全ての人にとって役に立つ「気付き」の場所になったと思います。本当にありがとうございました。



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  1. 2010/03/06(土) 13:58:25|
  2. オンパク 支援者
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