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加藤せい子さん (NPO法人吉備野工房ちみち)

岡山県総社市でオンパク事業「みちくさ小道」を手掛けている加藤せい子さん                                                                                                                             
NPO法人 吉備野工房 ちみち 理事長
加藤 せい子さん

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今回は、岡山県総社市でオンパク手法を使って幅広い地域づくり・人材育成に励まれているNPO法人 吉備野工房ちみち の 加藤せい子さんにお話を伺いました。

このインタビューは、平成22年1月16日に吉備野工房ちみちで立命館アジア太平洋大学4回生の石田奈々が行いました。


-NPO法人吉備野工房ちみち設立の経緯を教えて下さい。


1997年に、酒鬼薔薇聖斗事件という、子どもを殺害してその首を小学校に置くという事件があったのを聞いてすごく衝撃を受けました。その時、世の中の風潮は、バブルがはじけて混沌としていました。大人達が子どもの無気力とか、無感動とか、無関心をすごく批判して、テレビなどの色々なメディアや周りが、子ども達が悪いんじゃないかっていって評論しているのを聞いた時、なんだか大人達が評論家になりすぎていて、「大人が本当に汗をかいたり、子供たちに背中を見せたりしているんだろうか?」というのを自分自身がすごく感じたんです。

それで、「そう言っている自分は、じゃあどうなんだろうか、私の娘にちゃんと背中を見せているんだろうか?」っていうのを自分に問うたんですね。その時、やっぱり自分もどこか安堵の中にいて、自分が出来ることだけをして、その中で子どものことをああだこうだって言っている自分に気付いたんです。

そこで、「やっぱり何かやろう、やらないといけない!」っていう気持ちが心の中にわいてきて、住田さんと守屋さんという、子どもが同級生のお母さんに「私たちも何かやろうよ!」って声をかけました。

【音楽コンサートの企画】

それから半年ぐらいは3人集まっては議論をして、「こうだよね、ああだよね…」って言ってたんですけど、「やっぱりなんかやらんといけんよね!」ということになり、私たちが好きな音楽を通して地域に発信をしていこうということで、音楽コンサートを企画しました。何もわからなかったんですが、岡山音響というプロモーションの企画会社の責任者の人と出会うチャンスをもらった時に相談をしたら、「アカペラのコンサートをやってみたら?費用もそんなに高くないから。」という提案をもらったんです。そのころアカペラっていうのはまだ日本でもそんなにポピュラーではなくて。テレビでアカペラの番組が始まるちょっと前に私たちはそれをやることになったので、やると決めてから色んな人に相談しました。

ただ大半のみなさんが心配してくださって、「アカペラなんか絶対2時間もたん」、「お客が入らん」、「総社でプロのコンサートをして成功したためしがない」と言われました。そういうことも含めて、いろんなことをアドバイスとしてもらったんだけど、もうこっちが縮こまっちゃって。プロモーターの方に「辞めたい」というような相談をした時に、カツンとやられました。「そんなんじゃいけない!」、「責任持って最後までしなさい!」って言われました。それで、また主要メンバーの3人で集まって、「どうする?赤字が出ても大丈夫?腹をくくれる?」って確認して、「やろう!ここまできたらやろう!」ということでやったんです。

コンサートを企画して、ちらしを作って、発送して…本番1ヶ月前になってもチケットが100枚しか売れてなくて、「どうしようか?」っていう状況になりました。本番2週間前でも200枚とか300枚しか売れてなかったんです。私、本当に悩んで、もし赤字が出たら80万だ90万だっていうのを頭で計算するじゃないですか。そうすると、初めての大きなイベントだし、怖くなって、寝られなくなったんです。そんな私を見た娘が、私の枕元に手紙を書いてくれました。「ママ大丈夫?前向きに頑張れば絶対うまくいくから。」という娘からの手紙を見て、なんかふっとふっきれたんです。
「失敗しても命までとられんし、赤字は払えばいい。それまで、精一杯やろう。どんな結果が出ても、精一杯やろう!」と開き直ってから、いろんな人と出会うようになりました。

-娘さんの一言が大きかったんですね。

本当にそうです。それで私がこうやって子ども達のためにっていうことを語っていたら、なんかよくわからないけど、とりあえずその熱意に応援をしてやろうっていう人がぽつぽつと現れて…本当に1枚1枚を手売りしていったんです。
それで、蓋を開けたら、みんなが「絶対成功せんやろう。」と言っていたのに、1500枚近く売れていました。「それでも800ぐらいしか入らんよ。みんな、たぶん付き合いで買っとるから…」と言われていたんですが、本番では1200人くらい入って、通路までお客さんが座っていました。

結果じゃない、私が何ヶ月で何をしたかっていうプロセスがすごく大事で、結果はもう私の中で吹っ飛んでいました。吹っ飛んだというか、重要じゃなかった。最初は結果にすごく囚われていて、収支が合うこととか、人が入ることが大切だと思っていたんだけど、そのプロセスの中で出会っていく人たちや経験がどれだけ尊いかっていうことを、自分自身が、そのコンサートで感じ取ることが出来ました。

【周囲の認識の変化】

それで、それを見た地域の人たちが私たちにびっくりしてたんですけど、ちゃんとやれたという認識が出来たので、いろんなところから声がかかるようになって。「こういうのがあるんだけど、一緒にやらないか?」って誘ってもらえるようになりました。そこから地域に出て行けるようになって、イベント企画をすることを繰り返していきました。

5年間くらい、毎年そういうイベント、コンサートをしていたんですが、だいたい満席状態になるのと、値段の割に内容が良いということでご好評いただいていました。10000円で10000円の内容だったら当たり前だけど、2000円だけど10000円くらいの内容だと価値があると、誉めてもらえました。それと併せて、だんだんやっていることが明確になっていき、地域でも私たちの存在が見えてきました。

【まちづくりに対する違和感】

そんなことをしているうちに地域活動に入っていくようになって。その中で、やっぱり男性と年配の方がまちを作っていて、まちをつくる意思決定権の中には女性、私たちのような少し年齢が若い女性が少ないなというのをすごい感じました。「これってやっぱりおかしいよな…」と思って、ジェンダー、男女雇用参画の勉強をしたり、コーディネーターやファシリテーテーが必要だということで、そういう勉強も、同時進行でしたりしていきました。

そんな風に時が流れていく中で、れとろーどというイベントを5年前に始めたんです。それも本当に楽しくて、アイディアが湧きあがってくるというか。仲間と一緒にやることが本当に楽しくて、また、ものを作る喜びを得たんですけども、それをやり始めたら、どんどんあっちにもこっちにも呼ばれるようになって。ボランティアなのか仕事なのかわからなくなったんです、別に仕事もしていたんでね。

※れとろーど:門前町として栄えた総社商店街を未来に受け継ぎたいと、総社商店街の宮筋から神が辻の間で、写真や絵画、彫刻、生け花などの展示、お茶席、街かどミニコンサートなどが行われるイベント。2005年から毎年、秋に開催されている。

-当時はどんなお仕事をされていたんですか?

えーっと、市の嘱託職員を。子育てもして、ボランティアもしてという中で、なんかもうそれこそハレーション気味になっていて。そろそろ整理をしたいと考えていました。行政の人は仕事でその場にいる、私たちはわざわざ時間を作ってその場にいる。このバランスの悪さもすごく感じていました。本当にボランティアではなく、事業型NPO、事業として、仕事として、今やっていることができたらいいなぁと感じていました。それで、3年前から、まちづくりの講演会に行くようになったんです。

【NPO法人ハットウ・オンパクとの出会い】

その時に、(NPO法人ハットウ・オンパク代表理事の)鶴田さんの講演会に誘われて行きました。そこでオンパクの話を聞いたんだけど、やっぱり「ああ温泉の話だなぁ」っていうのが第一印象で、「まあ、私にはあんまり関係ないかなぁ…」という感じでした。でも、鶴田さんの誠意ってものはすごく感じたんですね。すごいスマートだし、謙虚だし、紳士だなぁっていう風に感じて。それだけは残っていたけれど、もうハットウ・オンパクなんかどっかに(笑)…。どっかにというか、自分の記憶にはもうなくて。それでも模索しながらいろんな講演会に参加したりとか、LLPやLLCという勉強もしたり。「事業体は、株式がいいのかな、有限がいいのかな?」という妄想状態でした。

※LLP:有限責任事業組合(LLP)と有限責任会社(LLC)の特長は以下の3つ。
1)有限責任制:構成員全員が出資額を限度に有限責任を負う。
2)構成員課税(パス・スルー課税)が適用され、出資者に直接課税される。
3)出資者自らが経営(組織運営)をするので、利益配分を始め組織内部の取決めは出資比率に依らずに、組合員の合意で株式会社よりも自由に決められる。

有限責任事業組合(LLP:Limited Liability Partnership)は、経済産業省所管の「有限責任事業組合契約法案」により設立が認められる組織形態。特許や技術或いはノウハウがあるのに資金が不足している技術者や、特許を取得した大学教授が、組織力と資金力がある大企業と対等に事業を進める際に活用出来る。

LLPでは、任意組合が負う無限責任では無く、株式会社と同様に出資額を限度にした有限責任に留まる。LLPの組合員の間での利益配分は、出資比率に応じる必要もない。また、LLPには「法人格」がない。従ってLLPの段階での法人課税はされずに、利益配分を受けた出資者が、出資形態に応じて個別に税金を支払う。

LLC:有限責任会社(LLC:Limited Liability Company)は、法務省の会社法改正により利用可能になった組織形態。
上記の有限責任事業組合(LLP)とは異なり、有限責任会社(LLC)には「法人格」が認められている。従ってLLC自体に課税される可能性があり、結果的にLLCの段階と出資者(社)の段階とで二重課税が生じる恐れがある。またLLCは法人格を持つが故に、株式会社、合名会社並びに合資会社との合併等による組織改変が可能。

有限責任会社(LLC)・有限責任組合(LLP)について
http://www.hirakawa-tax.co.jp/tokusyu/llpllc/index.html


それで半年後に、またなぜか(NPO法人ハットウ・オンパク運営理事の)野上さんに会う機会があって。それも、朝電話がかかってきて、「野上さんという方が来られるんだけど、ちょっと人が居ないから話を聞きに来て。」と誘われて、「誘われたら断れないな…」ぐらいの気持ちで、また話を聞きに行ったんです。

前よりは少し具体的な話だったので、れとろーどをやっていくことでまちづくりに繋がっていくのかなぁって、なんとなく漠然とした雰囲気をつかんだ感じになりました。でも、まだなんとなく「オンパクは温泉の話だなぁ、温泉があるから出来る仕組みなのかなぁ…」という風に思っていました。そんなこんなしていたら、2ヵ月後は、なぜか知らないですが、別府に行っていました(笑)。気が付けば、別府の地にいたんです。

そこで、第1回のオンパクの研修に参加をしました。研修に参加をして、鉄輪を歩いたんですけど、「あ、なんか地元総社でもできるかな?」っていうのは、自分が体験して、体験した人たちの話を聞いて、思いましたね。


【NPO立ち上げへ】

そこで野上さんと話した時に、「ハンズオン支援をしましょう。」という話になりました。まだその時は任意団体だったので、「どうしましょうか?」という相談をしたら、「NPOがやっぱりいんじゃないかな?」ということで、NPOを立ち上げる準備をしました。立ち上げる準備と同時に、私たちはお金がないということで、国の事業をとっていくということも進めていきました。その時(2007年当時、ハットウ・オンパクでインターンをしていた)森君が支援してくれたんです。ずっと伴走してくれて、支えてくれたのは、やっぱりすごい大きかったですね。ちょっと上手くいえないんだけど、なにをしてくれる訳じゃなくって、でもなんかのときにはいつも背中を押してくれていました。

※ハンズオン支援:オンパク事業を行ってきたハットウ・オンパクのスタッフが現地に赴きハンズオン型で地域のオンパク立ち上げを支援すること。

JAPAN ONPAKU http://japan.onpaku.jp/start.htmlオンパク(地域の輝き見本市)人づくり事業 http://www.coara.or.jp/~sanken/onpaku_doc/brochure.pdf


NPOの申請の書類は、もう一人の事務の方と2人でずっと作っていたんですけど、申請直前に、ストレスと、初めてのことで心労も重なって、私の腕の中で彼女が倒れちゃって。救急車を呼んで、病院に行って、病院から帰ってきて、森君に電話をしました。「もうこれで出来ない。」と私は思いました。時間もないし、国の事業を出すための前倒しならもうあと1週間しかないという状況の中で、彼女が倒れたので。彼女がずっと書類を書いてくれていて、私はそれを読んでアドバイスしていただけだったから、「ああもう無理。森君、たぶんもう無理だと思う。」って電話したんです。そしたら一言、「せい子さん、やるしかないでしょう!」と言われて、「わかりました…。やるしかないか!?」って電話を切って、書類を貰い自分で最後の仕上げをして、県に提出しに行って出来ました。という、そんなすごいことがあって、申請は受理されました。

今度は、国の事業の書類をまた書きました。書いている時は申請を出しさえしたらいいと言われたんですけど、いざ出そうと思った3日前か4日前に、「これじゃあ受理出来ません。」って言われて。「うそでしょう?」と、その時は悔しくて泣けました。しかし諦めるわけにはいかないと思い、いろいろな方法を模索して、結局色々なネットワークの中ですべてが整い出来ました。そういういろんなことがありながら、吉備野工房ちみちというNPOが出来たんです。

-すごい経緯があったんですね。
では、オンパクの手法を初めて知ったのは、研修で別府に行った時ですか?

そうです。鶴田さんの話を聞いて、野上さんの話を聞いて、そして、最後はその現場に行って理解しました。
でも、当時のことを振り返ると本当に不思議で…。自分で動いていたんだと思うのですが、自分の意志とは別の力が働いて、クレーンみたいなもので運ばれた感じがしています。

-別府に来て、鉄輪のまちあるきや体験者の話を聞いて、自分たちのまちでもオンパクの手法を使ってまちづくりが出来るという風に思われたのはなぜですか?

うーん、まだ、やっぱりわからないけど、なんかできるんじゃないかなって。ある意味、直感かな。たぶん野上さんたちもそのへんは試行錯誤だったのかもしれません。
でも、人づくりっていうのは出来るかなという風には感じました。

-大変なことが起こりながらもNPOを設立し、実際に運営されてきたと思うんですが、初めの頃、周りの反応というのはどうでしたか?

冷ややか。それこそ、「えー」って。「オンパクの手法を真似ても…あそこには温泉という大きな地域資源があるから出来る。だから、総社では無理だ。」という風に、何度も言われました。

-当時はだいたいどれくらいの仲間がいたんですか?

ボランティアをやっていた人とか、現在もスタッフでいる山田さんとか住田さんとか、全部で10人位いたよね。だけど、スタッフにも「NPO法人化はもう辞めた方がいい。」、「もう無理、無謀だ。」って言われました。だけど、「出来る」って思ったから、私はもう無理しました。強制的にというか、やりたかったんです。自分の「直感」を信じてやってみたかったんです。「直感」っていうのは、「思いつき」という意味じゃなくって、普段から一生懸命考えて、資源をいっぱい頭に入れて、それが何かと結びついた時に「直感」で行動するという意味で、ちゃんと裏づけがある上でということです。その「直感」を信じて、それからどうするかっていう判断をしてもいいかなぁとは思いましたよね。

-みちくさ小道をやることになって、実際にプログラムを作ってみられたんですよね?

そうです。その時に森君が来てくれたり、ハットウ・オンパクのスタッフの末田さんや門脇さんが来てくれたり。あれは大きかったですよね。
やっぱりプログラムの名前を作ったりする方法がわかんないじゃないですか。タイトルが面白いとか、キュートとか、そういうのがわからなかったので、来てくださって本当に有難かったです。

-一から始めるのは大変ではなかったですか?

資源はあったし、ネットワークはあったので…この人とこの人を結ぶとか、この場所とこれをこうするっていう計画はあったんですよ。

-じゃあそれを実際に形にしていくという感じですか?

そうですね、はい。

-反対していた人が注目してくれるようになったのは、どのあたりからですか?

3回目(2009年秋のみちくさ小道)の25プログラムをやり始めてからかな。
25プログラムも無謀だと言われてたんですけどね。
最初(2008年秋)が14プログラムだったんですけど、それもぱっと見た時、「これ出来るん?」という感じでしたね。1年目のあの頃はすごい孤独でした。

-それでも1年目に14プログラムを実施されましたよね?
なんで「出来ない」って言われてたんですか?それは準備の段階で言われたんですか?

そうですね。準備では、やっぱり全体像が見えない。私も見えないことが説明できなかった。みんなは、私が見えないものはもっと見えないから、それ以上じゃないですか。不安しかなくて、それを解消する言葉が私にはなくって。とりあえずやることでしか解消できないと思ったから、頑張りました。だから、終わるまでの孤独感ていうのはすごかったかなぁ。それを森君がよく聞いてくれたのは大きかったなぁと思います。

-第1回目の「みちくさ小道」が終わった後、周りの変化というのはありましたか?

ありました。やっぱり14プログラムをやり遂げたということと、八十八ヶ所巡りのプログラムなどは形が見えたから、「こういう資源の活かし方が出来るんだなぁ」ということを、周囲のみなさんも自分自身も感じることが出来ました。
それと、講師の方が周りの方に『感動』を伝えてくれることが、大きいですね。そこが第一段階で、周りの人々も「別府じゃないところでもできるんだなぁ…」ってなんとなく感じてくださったみたいです。


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「吉備野八十八か所めぐり」の模様


-では、第2回目の「みちくさ小道」が終わった時の変化はどうでしたか?

1回目のみちくさ小道を見た人が、「講師をやりたい!」と自分から申し出てくださったのは大きな変化ですね。「いつやるの?」という参加者の声もあったし、こういう地域資源の活かし方があるんだっていうのが行政の方にも理解されたんだと思います。ただのまちあるきとか、ただのイベントじゃなく、『人材育成』になっているっていうことをわかってくださったみたいです。

この前の(2009年秋の)25プログラムの時も、「出来ないだろう」と言われていたし、「この期間で、このプログラム本当に出来るん?」という周囲の心配の声が大きかったです。スタッフも、「出来るんかな、また無謀なことを…」って心配してました。

-加藤さん自身、心配はなかったんですか?

はい、なかったです。出来ると思っていましたよ。

-そう言いきれる加藤さんが素敵です。
では、「みちくさ小道」の立ち上げから第3回目が終わるまでの加藤さんの気持ちの変化はどのようなものでしたか?

1回目は不安で、でもやり遂げたいという気持ちでした。その時、実は、肩にカルシウムがたまって、高熱と激痛で肩が上がらず手が動かない、触っただけでも激痛がはしるという状態で。「休めないから、どうしよう…」って泣きながら、痛みと戦いながら、それでもやりました。

-そんな辛い中でもやり遂げて、どのように思われていますか?

やっぱり自信がついたかなと思います。これは「それでもあなたはやるんですか?」っていう自分への問いかけだと、自分で勝手に物語を作ったんです。本当に、産みの苦しみでしたけど、でも生まれた子どもはいい子でした(笑)。そう感じています。

-それは第2回目のモチベーションに繋がりましたか?

繋がりました。また、そこで新しいプログラムが8つも出来たからそれはよかったかなと思います。

-「みちくさ小道」を3回やってみての感想を教えてください。

「びっくり」、ですね。いろんなものに使えることを自分で実感したことが、本当に驚きです。ただのまちあるきとかイベントではなくて、男女共同参画にも使えるし、人材育成にも使えるし、商いのトライアルにもなるし、研修事業にもなるし、プロモーションにもなるし、使い方によって色々変化することに気づきました。

-パートナーさんの変化については、どのように感じられていますか?

最初私がお願いに行ったら、だいたい「無謀だ。」と言われてちょっとひかれるんだけど、私は何回も話しに行くんです。「こうはどうですか、こういうやり方だったらできるんじゃないですか?」っていう提案をしていく中で、最初は消極的で、紙の上でいつ何をしてこんなことが出来るっていう平面の会話なのが、話すことでだんだん立体になっていくのを感じます。それで、最後は一人歩きしてくれる、育っていくのを自分が感じるんです。
パートナーさんに会いに行ったら、勝手に地図が出来ていたり、本が出来ていたり、自分たちで研修会を組んでやっていたりっていう、すごい変化があります。そして最後は、お客さまが講師(パートナーさん)を育ててくれるんです。だから、パートナーさんがすごく良い顔をされているのを感じますね。

失敗しているプログラムは、やっぱりコミュニケーションができてないプログラムです。そういうプログラムは何か不満がある発言になります。「コミュニケーションは丁寧にやっていかないといけない」っていうのはスタッフに言っているんだけど、やっぱそこがまだまだ弱いかなという課題もあります。

-パートナーさんも何かしたいと思っているけれど、踏み出す機会がないことが多いですよね。その一歩をちみちのスタッフの人が押してくれるんでしょうね。

無理やりのほうが多いかもしれないですけど(笑)。

-ぽーんって背中を押してくれるから、入ってしまえば、そこからみんな開き直るという感じですか?

そうですね。

-「出来るんだ!」っていう…

自信になりますよね。

-自信につながって、始まってしまえば、何でもどんどんおもしろいものになっていきますよね。

背中を押す係が私たちの役割かなっていうのはすごく感じます。あとは、盛り上げてあげる。「大丈夫よ、出来るよ。」っていう話をすることと、不安なことは聞いて、私もできることはサポートするし、聞くことによって自分で勝手に解決してくださることもあるじゃないですか。そこのコミュケーションが一番大事かなぁと思います。

-多分、自分のチャレンジだと思ってくれる人たちがいるからこそプログラムが上手くいくんですよね。自分のチャレンジだと気づかない人たちっていうのもやっぱりいらっしゃいますか?

「やらされている。」という意識でいたり、「なんでこれしてくれないの?なんであれしてくれないの?」って言葉が聞こえてきたりするプログラムは、やっぱりうまくいかないですね。そこはスタッフもまだ育ってない部分もあるので、難しいところもあるけど、まあそれはそれかなぁっていう風に思います。

-そうですか。では、みちくさ小道が、地域で、現在どのような存在になっていると感じていらっしゃいますか?

まだまだ一部の人のものだから、もっと育てていきたいですね。地域よりも外の人たちの関心の方が今はまだ強いのかなって。外から見るほうが客観視できるのか、「なんかおもしろいことやっているね。」って言ってくださっています。

今まで、総社って通り過ぎるまちだったんですよ。ネットワークも倉敷からいきなり高梁にいったり、岡山から真庭にいったり、そんなイメージがすごくあったんだけど、最近は『総社』という形を少しわかってもらえたのかなぁと。他地域から「一緒にやりましょう!」という話がきたり、「おもしろい!」って言ってくださる人がいるので、そう感じています。

地域の中でどうか、地域の人たちがどう思っているかというのは、私も地域の中にいるのでまだまだ見えてこないんですけど、関わってくださっている人たちは変化をしてると思います。まだまだイベントにしか思ってもらえてないから、もう少しインキュベーションの場というのを伝えていく必要はあるかなぁと考えています。

-では、地域の人々の関わりを増やしていくことが、今後力をいれたい部分ですか?

そうですね。それはやるしかないし、やった人が変化をするものなので。
やっていく中で見えていく形でしか、なかなか相手には伝わらないじゃないですか。

何かをやりたい人が「みちくさ小道」と連携したいっていうのが地域からも出ているし、こんなプログラムをどうかっていうのもあるから、まあ少しずつやっていけたらなぁとは思っています。

-これから、NPO法人吉備野工房ちみちとしてどんな地域づくりをしていきたいとお考えですか?

「ここに住んでいてよかったなぁ」とみんなが思う地域になるようにしたいですね。去年は「耕す」というテーマで、今年は「種をまく」というテーマで活動をしてきました。来年は、種から芽がでて花が咲けばいいかなぁって。花が咲いた後に、また種が落ちてくれたら、また、そこから広がるじゃないですか。そういうイメージでまちづくりをしたいです。

だから、外からお客さんを呼ぶとかでなく、地域の中でまわるような仕組みを、経済にしても人にしても作っていきたいです。

-外から入ってくるというよりも、地域で始まって徐々に広がっていくということを目指しているということですか?

そうです。だから、内盛り?内から盛り上がるような地域にしていきたいです。「うちのまちってすばらしい!」って自信を持って言えるまちにしたいです。自分たちが愛する場所に総社がなればいいなって思ってます。そしてそこから繋がっていく、伝染していくようになればいいですね。

-話は変わりますが、みちくさ小道におけるプロモーション事業の場としての広がりについてはいかがお考えですか?

「みちくさ小道」をやることによって、今回パンフレットがオシャレだってすごく言ってもらって、デザインとか編集とか企画ができるということを認識してもらったんですね。それで県からレシピ集をつくるオファーがきたりしました。反対に自分たちも少し自信が持てたので、「冊子の仕事できますよ!」っていうことを自分たちでアピール出来るようになりました。

あと、コーディネーションという部分で、「25プログラムもコーディネートできるんだったら、吉備野工房ちみちにコーディネーションを任せられる!」とかっていうお話もきています。研修も話がくるようになっているかな。それはある意味、「みちくさ小道」というプロモーションの場があるからこういう色んな事業がきているのかなって思いますし、自分たちも自信になっています。

-すごく広がっていっているんですね。

なんかね、すごく広がっていっている気がします。
NPO法人の名前に、『吉備野』と名づけたのは、総社だけじゃないというイメージが私の中であったからなんです。同じ思いがあったらどんなところとでも繋がれるんじゃないかって思ってます。

だから、私たちができるのは行政区域だけじゃなくって。行政区なんて関係ないじゃないですか、NPOとしてはね。地域がよくなればいいので。だからここを中心に別府とも繋がるし、高梁とか新見とか真庭とか、四国とも繋がれるし、いろんな所と連携ができるかなぁって思っています。

-そういう構想もあるんですね。

そうです。構想ばっかり(笑)、妄想ばっかり(笑)。
香川や近畿、中国地方くらいはカバーして支部みたいなことができればいいなと妄想しています。それに、もうちょっと大学とか専門の方と連携したいです。吉備野工房ちみちの弱さが、実務というか、まだまだやることばっかりに追われているから、もう少し研究とかモデル開発になれたらと思います。そんな先生がいたら出会いたいなぁって思っています。

どう仕組みにしていくかが一番大事なんですけど。人材は揃っているし、ネットワークもあるから、それをどう繋げてやっていくか、ですね。まあでもやってみないとわからないから、次の人材研修でとりあえずやってみて、形にしていきたいです。私たちじゃなくって、その先にあるものを支援する仕組み、次世代のために使う仕組みを作りたいです。

あと、「みちくさ小道」をやったことによって、人の繋がりが出来ていったかなぁと思います。それで、メディアがすごく関心をもってくれているのと、彼らの「応援したい」という感じがとても伝わってきて、それが本当に嬉しいです。これも「みちくさ小道」のご縁だと思います。

-メディアに取り上げてもらえるとすごく大きいですよね。

大きいし、夕刊に「一日一題」っていうのを私が2ヶ月間連載したんだけど、それでまたちみちの信頼度が上がったのかなと思います。メディアにでるってことが、信頼に繋がるんですね。

-その連載がきたのも、やっぱり「みちくさ小道」実施からですよね?

はい、「みちくさ小道」です。だから全部「みちくさ小道」なんです。
事例発表もそうだし、来週、県の観光連盟でも発表させてもらうんですけど、誰に私の情報を聞いたんですかって聞くと、県の職員さんが話してくださってたり、推薦してくださったりしてるんですね。だから、「みちくさ小道」がご縁でどんどん広がる「みちくさ小道」という感じです。

-すばらしいですね。加藤さんの今の活動があるのも元々は「直感」ですけど、そこからのネットワークの広がりというか、ひとつひとつが濃い色々な出会いがあって、その人たちのサポートがあってという、その出会いがすごく魅力的ですね。

それも「直感」っていうか。五感を使うっていう「みちくさ小道」の意味を話したじゃないですか。現代の人たちはあまりにも頭とかデータとかで育っていて、多数決とかいいことだけに縛られているっていうのかな。でも、私の動きって、良いとか悪いとかじゃなくて、これが必要だとかこれがおもしろそうだとかっていう感覚です、ある意味。
でもその感覚が良くないって今まで言われていたのが、最近は時代が変わってきたのかな、もう1回感覚を取り戻そうという風潮になっています。

だから私はそこにちょうどマッチしたんだろうと思います。今までは妄想と暴走と瞑想とか、そういう風に言われていたんですよ。「あんた、何言よるかわからん」ってよく言われていました。何を言っても理解してもらえないのが怖かったし、しんどかった。だから言葉を発するのが怖かったんです。自分も何がやりたいかもわかってなくて、でも自分の中には何かやりたいという思いがすごくあって…。

-何がしたいか見えてきたのは「オンパク」との出会いがあったからでしょうか?

そうです。オンパクに出会うことによって、やりたいことがだんだん明確になっていって、自分の中の色んなものがそぎ落とされていきました。

-これからどんなことをやってみたいですか?

自分の中にないもの(笑)。未知に挑戦したいです。
人からの提案や、出来そうにないことをやっていきたいです(笑)。

-そこからまた広がっていけばいいですね。

そうなればいいかな。あんまり決めたら、枠の中ではまっちゃうので、おもしろいと思ったこととか、今自分に与えられているやらないといけないことに出会ったら、それをただ淡々とやっていきます。

【私の最終ミッション】

それと、子ども達が、私達の次の世代の人達が、少しでも楽しく暮らせる引継ぎはしたいと思っています。子ども達と一緒に悩んだり考えたりしたいなっていう思いもあります。

いつかは、発展途上の国に行って、オードリー・ヘップバーンがユニセフの支援に行った時みたいに、子ども達の支援をしたいです。
また、子ども達が、「生まれてきてよかったなぁ」とか、「ここに存在してよかったなぁ」と思えるように、そう思えるきっかけを届けたいなっていうのが最終ミッションです。
だから、今はそこにいくための助走かな。ここでがーっとお金が稼げるようになったら、発展途上国で子ども達の支援をしたいですね。

今、日本でも、お金・モノはあっても、心の飢餓とまではいかないかもしれないけど、精神的に飢えている子ども達がいる。だから、最終的なミッションとしては、国を問わず子ども達に関わる仕事をしたいと思っています。

私は兄妹が11人いるんですけど、小さい頃から「自分は存在しちゃいけない」ってずっと思っていました。母親が父親からDVを受けていて、母親のストレスが長女の私に暴力や言葉の暴力できていたんです。子どもって親に受け入れてもらって、自分の存在をわかる。要は、人間って他人からなんかしてもらうことで自分の輪郭がみえるっていうのがあって、そういうところで私は子どもの時から屈折したものがあるから、ずっと自分の存在を否定してきました。それがしんどかった。
もし、他にもそういう子ども達がいたら、どれだけしんどいかっていうのが私にはわかるじゃないですか。だから、貧乏でも、親がいなくても、「生まれていいんだよ、そこにいていいんだよ」っていうのを伝えることを、これから残された命を使ってやっていきたいと思います。

-色々な体験や苦労があって、今の加藤さんの取り組みに繋がっているんですね。今の「みちくさ小道」は加藤さんにとってどんな存在ですか?

次へのステップ、でしょうか。これで終わるんじゃなくて、それこそ目標ではなくって、ツールの一つでありながら、でも宝でもあるという感じです。

まちをつくっていくことは将来の子ども達のためになるから、自分達では全部出来ないけど、その担い手になれればいいかな。担い手というか、意思決定権の中に自分達が入っていって、リーダーの中でものが言えるようになれたらいいかなと思います。

経済的にも自立をしたい。だから、NPOで政策提言もしていきたいです。
今、地域の中に向かって具体的に一生懸命やっていっているけど、将来的にはNPOで政策提言をしていきたいと思っています。下請けとか行政のニッチな部分をやるばかりでなく、それをやりながら、「こういう問題があるから、こんな仕組みや政策、法律を作れば、もっとまちがよくなるんじゃないか」っていうところも考えて、提言するということもやっていきたいです。

-NPOの方が現場に近いから、住民の声をちゃんと反映できますよね。

【ちみちでの夢】

そうですね。でも声を反映するだけじゃなくって、具体的にこんなことが出来て、ここが変えられて、この法律をこうしたら…というところまでいきたいです。専門家と一緒に考えて提案して、それを地域で実際にやって、きちっと政策提言するっていうのがやっていきたいことです。

今の政治は、誰が責任をとるかが見えにくいと感じています。辞めたら、イコール責任をとるみたいな。でもそれってある意味無責任に感じて…。そういうところに政治や自分の人生や生活を任すことよりも、自分達でそれを考えてやって失敗するんだったら、自分が責任を取れますよね。だからそこを私たちが担っていく必要があるのかなっていう風にはちょっと思いますね。

JICA研修を受け入れた際に市長の話を聞いて思ったんですが、長っていうのは新しいことを考えてやっていくんだけど、下はなかなか受け入れがたいこともある。どうしても批判を受けるし、わからないから不安になったりもする。でも、長がこれをやるって言ったときにやっぱり必ず部下はついていくんだと。そのわからないものに向かっていくのがある意味「長」の役割なのかなぁって最近思っています。それに対しての反発や反論は、長は孤独だけど耐えて、我慢して、待つことも必要なんだなぁってすごく今思います。

あと、たくさんの人に「早く自立をしなさい。」、「経済的な自立をせんといけん。」て言われるんだけど、この前岡山県庁の人と話した時に、「国の補助とか県の補助をとるっていうこともひとつ自立の糸口だから、それを悪いとかではなくって、それも大切な自立の資源・事業として捉えればいいんじゃないか。しないとか分けて考える必要はないんじゃないかな。」っていうアドバイスをもらって、すごく楽になりました。

それまでは「自立せんといけん、自立せんといけん、自分達で自立できる事業を…」ということを考えてばかりいました。もちろんそれは必要だと思うけど、あんまりそこに囚われずに、とりあえず、今ある資金とか補助とかを使いながらやっていってもいいんかなぁと今は思っています。それによってきちんと成果や効果がでてくればいいんかなぁって。

この1年ぐらいは「お金の面で自立。」といろんな人に言われて、あるとき自立が目的になってしんどくなった時期もあったんだけど、でも自分達がお金の部分で自立するっていうのはちょっと違うんかなと最近思い始めています。国や県や色んな補助金を使いながらも、地域の人たちが元気になる活動をするのが本来の目的かなぁと思えるようになったから、楽になりました。
でもその辺がちょっとしんどい部分ですよね。事業やりながら、こっちでは次の資金を生み出してということを考えないといけないから。それがトップの仕事なら仕方ないんですけどね。

行政予算の何%かをNPOの運営に使えるような仕組みを作りたいなっていうのも今思っています。新たな地域機関として認知してももらって、要は行政(新たな公共)と一緒ですよね、「何%の予算はつけます」っていうようになれば、新しいことばっかりいつも考えなくてもいいのかなぁって思います。それに追われるとまた違うかなぁって。

-このあたりは難しいところですよね。
そうやってこれからも色んなことに挑戦されていこうとしてらっしゃるわけですが、いろんな活動を行う上で大切にしている気持ちなどはありますか?

私の今のテーマは「気が付けば」なんです。「みちくさ小道」もなんとなくやったら「気が付けば」ものが出来ていたり、人材育成になっていたり、ボランティアガイドが育成されていたり、それこそ環境問題にも取り組めるし。大上段に「環境問題をやりましょう」、「まちづくりをやりましょう」、「人材育成で何カリキュラムをして、終わったら修了書を出します」ではなくって、「気が付けば」なんか出来ていたという感じの方が受けるほうも楽でいいのかなって思ってます。ハードルが高いと勉強ばっかりでアップアップしますし。

私だって「気が付けば」です。それこそNPOを立ち上げる前、今から3年か4年前に、どうしたらいいかなって県の人に相談していた時、「地域プロデューサーになったらいいが!」って言われて、「え、地域プロデューサーなんてそんな仕事ないよ。」と思っていたんです。その時「そんなのあたしには無理。」って思ってたんですけど、そうやって言われて今、「気が付けば」地域プロデューサーに完璧になってますからね(笑)。肩書きをばあーっといわれると出来ないって思うけど、「気が付けば」なんかになっていたぐらいがいいのかなぁって。それが私のテーマです。

おもしろいのは、2年前、函館でオンパクの研修があった時、聞く側に私たちがいて、講師は男性ばかりでした。「あそこに女性がいない、講師の列に女性がいない!」と思いました。
で、いろいろ言われた時、もう悔しくって、海に向かって泣いて、研修をエスケープしました(笑)。その時「あそこに絶対女性がいないといけない!」っていうのを自分に誓ったんです。誓って、昨年(2009年)別府で行われた「こうさてん」というイベントでは、講師として事例発表を、今回(2010年)のオンパク研修でも講師として発表したので、少しずつでも一歩一歩、確実に、その時「足りない」と思ったことを実現しているかなと思っています。誰かがやってくれたら、誰かがなってくれたらと願うのですが、『気が付けば』自分がやっている状況です(笑)。

※こうさてん:2009年1月に別府で4日間に渡り行われた、まちづくりを考えるイベント。

こうさてん イベント情報 泉まちネットhttp://www.city.beppu.oita.jp/machizkr/event/200901/15.html


-第三者からみると加藤さんはなぜそこまで不可能と思えることを可能に出来るのかなと思うのですが、その原動力は何ですか?

自分には出来ないと思っていても、なんかやらんといけんような状況になったり、背中を押してくれたりするような人がいると、出来ないけどやってみていいかなと思います。
私も本当は出来ない、出来ない!みんなと一緒よ。

でも前向きは前向きです。出来るようになりたいと思うエネルギーは強いかもしれないですね。出来ない自分に対しての負けん気は強いので。
何でも出来るなって思われているけど、実は影で努力してるんですよ。言い訳はなるべくしないっていうのがもうひとつの私のテーマなので。

NPOのスタッフや地域の人たちには、本当に感謝です。私の無謀な行動によくついて来て、支えてくれたなっていうのは、なかなか言葉には出来ないけどいつも思っています。
有り難いし、本当感謝です。この場を借りて、「本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」と伝えたいですね。

-最後に、オンパクやってみたい人へのメッセージをお願いします。

「とりあえずやろう!」(笑)しかないですよね。
オンパク手法には、やれるかもしれないという可能性があるのかなと思います。

-長時間ありがとうございました。




(インタビューをした個人的な感想)
「自分には出来ない、出来ない。」と言いながらも、その時足りないと思ったことを満たすよう確実に実現へと行動していらっしゃる加藤さん。
辛い過去を持ちながらもそれに屈さず、今、未来の子ども達へと日々尽力している姿は本当に格好よく、お話をお聞きした私自身、勇気と希望をいただきました!
今後もNPO法人吉備野工房ちみちの活動が総社にもっともっと新しい風を吹き込みますように、私も微力ながら応援させていただきたいと思います!これからもよろしくお願いします。




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  1. 2010/03/18(木) 07:43:41|
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