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佐土原 太志さん(都城まちづくり株式会社)

宮崎県都城市でオンパク事業「ボンパク(都城盆地博覧会)」を手掛けている佐土原 太志さん






都城まちづくり株式会社
佐土原 太志さん


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今回は、宮崎県都城市で「都城盆地博覧会(ボンパク)」を運営していらっしゃる佐土原さんにお話を伺いました。
このインタビューは、平成22年2月13日に都城ロイヤルホテルで立命館アジア太平洋大学4回生の石田奈々が行いました。



-現在のまちづくり会社に入る以前は何をされていたんですか?

まちづくり会社に入る29歳までは、遊んでいました。大学を6年で中退して、2年は大学のあった熊本にいて、1年間イギリスに行って、ヨーロッパのまちを回って帰ってきて、「さぁ、帰ってきたけど職がない!」という時にまちづくり会社の募集があったので応募しました。

-以前からまちづくりに興味はあったんですか?

興味は、ありました。父親が市役所の職員で、ワークショップで合意形成していくのが大好きだったんです。「地域の人たちとのワークショップは面白いぞ!」という話を中学校ぐらいから聞いていました。その頃、都城では、「ウエルネス都城」 というまちづくり活動が盛んでした。いつも、張り切って仕事に行く父の後姿を見て育ち、そんなに面白いものだったら僕もやってみたいなっていうのはありました。

-イギリスから帰国した時にまちづくり会社の募集があり、以前からまちづくりに興味があったので、たまたま応募されたということですか?

そうです。でも最初の選考では落ちました。一度落ちて、しばらく経ってから「面接受けませんか?」という連絡がきたんです。一人欠員ができて、その代わりに入ったので、いわゆる滑り込みですね。

-それで、まちづくりに携わるようになられたのですね。会社に入ったばかりの頃はどんな仕事をされていたのですか?

はじめは、ウエルネス交流プラザがオープンしたばっかりだったので、交流プラザの運営をしていました。でも、そこに僕は少し違和感がありました。「まちづくりって、中心市街地活性化という意味なのか?」という素朴な疑問があって、「この施設がにぎわえば、まちがにぎわう」という言葉が交わされている中、「なんかしっくりこないなぁ」と思っていました。“施設を運営して、まちなかを賑わす”、言葉と言葉の間にギャップがあって、“具体的に何をどうやっていくか”については誰も正解を知りませんでした。真剣に考えれば考えるほど「わからないなぁ」と思っていました。ただ、それまで遊んでいて社会的な役割を持たずにいたので、毎日いろんな人と話して、発見があることが嬉しい、楽しいという気持ちはありました。

-では、具体的にまちづくりをされるようになったきっかけは何ですか?

まちづくり会社に入った時に、僕の同級生のお母さんで、まちの元気なおばちゃんに出会いました。その方に、「あんた頑張りなさいよ。」、「まちづくり会社やったら靴を履き潰すぐらいまちなかを歩いて、人と会って話すんだよ。」と言ってもらって励まされました。「それって素晴らしいな」と思ったんです。でもなかなか施設の運営が落ち着かなくて、すぐ外には出られなかったんです。3年目になる時、まちなかの店舗の人たちが集まって勉強会をしていると聞き、説明会にどんな人が集まっているのか気になって顔を出したんです。

-その勉強会はまちなかの人がずっとされている取り組みですか?

その会は立ち上がって3年目を迎えるところでした。一店逸品運動という活動のための会です。実行委員会を作って、皆で商品開発をして、PRするというような事業だったんですが、事業のことを何にもよく知らずに説明会に行きました。その時、商工会議所の職員の方が「佐土原君のところも会に入れば?」と言うので、「そうですか。そんなこと出来ますか?じゃあ入りますか。」という流れになりました。
会社には、「商店街の人たちと一緒に商品をPRする事業で、まちなかの店舗とのつながりもできます。プラザもPRできるものを出せるでしょう。」という話をして、その事業に関わりだしました。関わりだして、色んな人たちを知りました。そして、次の年からはまちづくり会社が事務局を担うことになりました。


※一店逸品運動:参加店が会合(逸品研究会)を通じて、それぞれの逸品の開発や発掘を行い、「逸品フェア」というお披露目を定期的(年1回程度)に開催していく一連の活動。この運動を通じて、店主は常に自分の店舗や商品を見直すことになると共に、運動を続けることで繁盛店をつくり出し、また繁盛店を増やすことで商店街全体の活性化を図ろうとするもの。
(2007年10月vol.22 広報 都城10)

-一店逸品運動の事務局ですか?

最初、一店逸品運動は市役所の事業でしたが、補助金が予算化されている4年間で事務局を自立させたいという意図があったようです。会社の理念にも合致していて、ネットワークもできるということで、それまで市役所がやっていた事務局をまちづくり会社でやりはじめました。
最初は月1回の会議に出ればいいという話だったのですが、事務局は、準備もしなければいけないので、全然それだけでは収まらなかったです。ですから、入社3年目は事務局の業務をかなり一生懸命やったという感じです。

その中で、まちなかの商店の現状とか課題とか、やってはみたけど(商品が)売れない話とか、ちょっとうまくいった話とか、そういう話を聞きながら、「このままじゃ現状は突破できないよなぁ…」と思っていました。「やる気のある商店主に応えるものって何かなぁ?」と、役員会の人や仲良くなった店舗の人たちと色んな話をしていました。

-商店街の衰退化という現状をなんとかできないかということで、ご自身が色んな方とお話されながら方法を探されていたんですね。

4年目に入ったときに、市の中心市街地活性化室という私たちの施設の所管課にスーパー行政マンが来ました。もともと、まちづくり会社が管理しているプラザと駐車場を使って、会社を経営していく基礎を作った方が、また戻って来られたんです。ものすごく仕事が速くて、アイデアもいっぱい持っていて、昨日のアイデアが次の日には進化していました。考えるスピードが速すぎて、僕なんかもうついていけなくなってしまいました。その人の仕切る会議に商工会議所とかまちづくり会社が入っていましたが、いつも空転するんです。速すぎて僕の頭の中はぐるぐるってスピンしていました。

「中心市街地活性化についてどれだけのことが出来るのか?」と考えをめぐらせていた時、その行政マンが「本当に僕らが出来るの?」というプランを、「これは?これは?」とどんどん出してくださるんですけど、僕らはなかなかそのボールを取れずにいました。「自分たちでもこのままでいいとは思っていないけれど…」と悶々としていた時に、オンパクの研修会に行ったんです。

-どんなきっかけで研修会をお知りになったんですか?

きっかけは、オンパクの研修会を知る1年前にNPOや行政との協働のアドバイザーをされている川北秀人さん(IIHOE)の研修に宮崎で参加したことです。非営利団体の運営や、支援をする意味と方法について、理論的でスッキリした話をして頂いていました。川北さんが宮崎に来られる度に研修に参加して、研修から帰ったら、まわりのスタッフにこんな話を聞いてきたと興奮気味に報告して、稟議書の形式を変えたり、お客様へのアンケートのフォーム変えたり、事業計画書づくりに聞いてきた内容を生かしたりしていました。

-ご自分で探されて川北さんのお話を聞きに行かれていたんですか?

その研修会を主催されていた宮崎文化本舗の井上優さんに誘ってもらいました。井上さんから目をかけてもらって、機会があるごとに研修等に誘ってもらっていたんです。

-では川北さんのお話がきっかけで別府の研修会へ参加されるに至ったんでしょうか?

そうです。川北さんから、「別府のまちづくりは最高に面白いよ!市民がやっている活動がすごい!」といつもお薦めされているのを聞いていました。そしたら川北さんのブログでオンパクの研修会(2007年10月開催)があることを同僚の本蔵さんが見つけてくれました。でも、そのブログに書いてあるだけで、実際オンパクのホームページを調べても、肝心の研修会の情報は書かれていなかったので、電話をしました。別府のオンパクの事務局の方も意外だったようでしたが、参加申込みをしました。その頃、別府の方々は観光地に声をかけられていたので、都城から来るとは誰も予想していなかったんじゃないですかね。「別府で何が起きているのだろう?」という疑問と、川北さんが太鼓判を押す「別府で、何が起こるのか見てみたい!」という思いで、本蔵さんと出張に行きました。

-実際に別府でお話を聞かれて、どう感じましたか?


そうですね。研修会では、座学と実際のプログラム体験などがありました。座学では、理念や仕組みがきれいにモデル化されていて分かりやすい点と、オンパクを活用しているまちの方々がご自身の言葉でオンパクでのそれぞれのチャレンジについてお話されている光景を見て「これ、すごいなぁ」と思いました。
プログラム体験では、まちあるきなどを体験をしました。まちあるきの中で色んな人が登場するわけですよ。それで、「なんてすごいネットワークがあるイベントなんだろう。1つのプログラムに何人出てくんだろう。」と思いました。その時、「あぁ、これすごい。こんなことが出来たら楽しそう!」と興奮しました。

-ではその研修会に参加されて、オンパクの手法が都城のまちづくりにも使えるという風に思われたんですか?

そうですね。そのときは、ちょうど1年後に2店舗目の大型ショッピングセンターが市街地から少し離れたところにオープンするという時期でした。プラザの隣の百貨店の客足に影響があると私たちの管理している駐車場にも影響があるということもあって、出来る行政マンに、「このままでは、まちづくり会社は経営できなくなるよ」と言われ、「確かにこのままではやばい」とは思っていたんです。30代の社員の中でも、「20年勤められる会社にするにはどうすればいいんだろう」という話をしていました。そのスーパー行政マンのプランにはうまく乗れないけど、ここのまんまじゃいけないという問題意識で別府の研修会に参加して、「うちが取り組むのはこれなんじゃないかなぁ」と感じたんです。

-最初、別府は研修会を観光地向けに推しだしていて、観光地だから出来たという意見もあったと思うのですが、そういう部分で懸念はなかったですか?

僕はあまり「観光地だからできている…」という考えはなかったです。温泉泊覧会といっても、「プログラムは温泉ばかりじゃなく、それより裾野が広い。」という感触でした。地域の人がすごく近いところにいて、顔が見えています。お客さんも、それを体験できます。プログラムを提供しているまちの人たちの気持ちが見える催しだなと思いましたし、お客さんともすごく近い距離間で関係が結べるっていうのは幸せだという風に思いました。

-研修会に参加して、都城でも出来ると確信されたのですか?

確信はしていないです。ただ、研修会の3日目に、研修会のクロージングとして「具体的に各地域で取り組むには」を考える時間があったんです。参加者は自分のまちでどんなプログラムできるか考える時間があって、地域資源30リスティングで都城でオンパクをやると仮定した場合の地域資源とその地域資源の担い手をリスト化したりしました。最後にプランを宣言する時に、一緒に参加していた同僚の本蔵さんと2人で、「やるって言っちゃった方がいいんじゃない?」という感じになったんです(笑)。「やるのはここでは決定出来ないけど、やりたいなと思っているんだし、宣言しようよ。」と相談して、『開催したい!』ということを宣言しちゃいました。


※地域資源30リスティング:地域にどんな資源があるのか、またそれをどうプログラムにするか整理するために、具体的な個人名、固有名詞を挙げながらリストにしていくアクティビティー。

-有言実行ですね。


そうですね。勢いで宣言しちゃいました。そう宣言して、都城に電車で帰りながら色んな妄想を膨らましてたんですが、実際のやり方を知らないじゃないですか。「何からやるの?」みたいな感じでした。そうしたら、2007年12月に、別府の森さん(2007年当時のハットウ・オンパクのインターン生)が都城に来てくれたんです。

その頃、まちなか活性化フォーラムをしようと、市の所管課と僕と本蔵さんが企画をしていました。基本的には市が取りまとめるという話で。翌2008年2月のフォーラムでしたが、僕らが10月に別府の研修会に行った時にまだ講師もパネラーも決まっていなかったんです。
別府の出張から帰ってきて、「野上さんの話聞かせたいよね。オンパクの話は面白いもんねぇ。まちなか活性化フォーラムのパネラーにお願いしようよ!」ということで野上さんに電話で依頼をした時に、森さんが都城にいらっしゃったんです。
今思うと、別府のオンパクの方も都城で僕たちがオンパクやるのかどうかわからないから、森さんが都城はやる気があるのかどうか確かめるために来たんじゃないですかね(笑)。当時、自分たちはやりたかったですが、実際やるのかは組織的にはハッキリしていなかったですから。

-森さんとはどのようなことをされたのですか?

森さんが来て、「地域を色々見せてください!」、「知っている人に会わせてください!」と云われて、急いでいろんな所に電話を掛けて、一緒にまちの人に会いに行きました。その後、喫茶店に入って、「じゃあ、都城どうしますか?」という話になりました。

最初は、顔役である代表と、マネジメントする人、企画する人、この3人がいればオンパクは出来ると別府で聞いていたんですね。でも、企画役はやれるにしても、特にマネジメント役は自分たちができると思っていなかったんです。顔役は後でお願いするにしても、「マネジメント役が決まってないとオンパク側から支援が出来ない」ということを森さんからそのとき聞きました。

「佐土原さん、これから会社でどんなことがやりたいんですか?」と森さんに訊ねられて、僕は「自分も周りの人も、元気がめぐってふくらむようなことがしたいし、そういうことをみんなと共有したい!」と話しました。そしたら「オンパクぴったりじゃないですか!やったらどうですか!」って森さんに言われて、「やります!」と(笑)。

-では、喫茶店で確実に立ち上げが決まったんですね?

そうです。別府では代表に鶴田さんがいて、野上さんがマネジメントして、みんなを率いてオンパクをされているじゃないですか。やっぱり色んな経験を積まれた、みんなを統率出来るような人がマネジメントするのがいいと思っていたんですが、「やったらいいじゃないですか!」とその時森さんに云って貰って、「僕でもマネジメント役できるんだ。じゃあやります。やりたいとは思っていたんですけどね。」というように、そこから動き出したという感じですね。
今思うと、自分の想いを固めることが大切だったんですね。「できるか、できないか」じゃなくて、「よし、やろう!」と腹を決める感覚ですか?背中押してくれる人も重要ですよね。まちの状況や会社の周りの環境など旅立つ理由は揃っていたので、あとは「やる!」と決めるだけだったんでしょうね。

-実際スタートさせるにあたって、どのように準備を進められたんですか?

森さんが2007年12月に入って、翌年2月のフォーラムで野上さんが来られました。フォーラムの前に、「フォーラムの前日にボンパクの地域説明会をしませんか?」と森さんから云ってもらいました。「あと数日しかないけど、地域説明会に誰を呼ぼうか?」と考えて、「電話かけまくろうぜ!」ということでまちの人に電話で声をかけました。知っている人だけでは、足りないので、知っている人に「誰か元気な人知りませんか?面白い人知りませんか?」と聞いていきました(笑)。そうしたら、「誰々さんがいいと思うわよ。」と紹介してくださる方がいて、また、紹介された人に電話をかけて、「説明会にいらっしゃいませんか?」とお誘いしました。

-土壇場でのお電話でも来てくださる人はいましたか?

面識のない方にそんな風に電話していたら、末永さんというグリーンツーリズムの活動をされているおばちゃんに「オンパクの説明会?オンパクやるの?」と訊かれて、咄嗟に「やります!」と答えました。「じゃあ行く。私加勢するわ!」って仰っていただいたんです。その人は、以前、オンパクの野上さんの話を聞いていて、自分でやりたいと思っていたけれど、ちっちゃい市民団体をまとめるのは大変だから誰かやってくれないかなと思っていたと言うんです。だから、僕から電話があった時に、即「加勢したい!」と言ってくださいました。ただ、そのとき私が、電話口で「やります!」って返事していなかったら、会場に来るつもりはなかったということを後でその方から聞きました。


※末永さん:末永陽子さん。ボンパク実行委員会のメンバーでもあり、「ばぁばの知恵袋 さくら」の代表としてもプログラムを提供するなどして活躍する、明るく笑顔が素敵な女性。
(ばぁばの知恵袋 さくら:高城・石山地区で素材とばぁばの知恵を生かした活動に取り組む女性4人組からなる団体)

-そうだったんですね。ではそうやって地域の元気な方に説明会をされたんですね?

地域説明会には、商店の呉服屋の女将さんとか、郵便局長とか、10名位の市民の方が来てくれたんです。それから、まちづくり会社の社員と行政職員、観光協会の方なんかにも来てもらいました。

説明会が終わった後に、市民の方々に、「まちで楽しいことしませんか?よかったら実行委員に入ってください!」と言って実行委員に入ってもらいました。市民の方と実行委員会を作って、2008年の3月初旬に、4~5人でミーティングをしました。ミーティングをしたら、「1個プログラムをやってみようよ!」ということなって、みんなでまちの中を歩いてみたんです。

まちづくり会社の社長自身がまちなかでずっと暮らしてきて、商いもされていて、まちなかの人達のことも詳しいしということで、「明日まちあるきしますから社長がご存じのことを歩きながら話してください」と社長にお願いして、実行委員のメンバーの人たちを連れてまちあるきをしました。社長は、僕たちがやりたいことに理解を示してくださっていて、前々からまちの歴史に興味を持っていました。

まちあるきをする中で、近くのお寺の奥さん、坊守さんとお話ししているうちに、「お茶出してあげるわ。うちにおいでよ。」と言ってくださって、お寺で話を聞いたり、狭い道を歩きながら、ガイドの社長のエピソードを聞いたりしながらのまちあるきでした。

その後、みんなで分かち合いをしたのが古い喫茶店だったんですけど、末永さんから「高校時代、その頃の彼とここでデートした。今のお父ちゃんじゃないよ。」という話などが飛び出して、盛り上がりました(笑)。そういう思い出と発見が交差する感じ、「まちあるきの楽しさってこれか!」と思いましたね。

-では、徐々に都城でのオンパクの実施に向けて気持ちが固まったいったのですね?

あ~、それは別府のハットウ・オンパクのみなさんやアドバイザーの方々の支援体制が素晴らしいんですよ。2007年の12月に「ボンパクをやる」と決めて、翌年の2月に実行委員会を立ち上げ、3月には函館の研修会に1人講師で行って、会社や都城の現状を話す機会を頂きました。「何も始まってないのに発表?!」と思いながらもプレゼン資料を作り、発表しました。「地域の現状は?」といわれても何が地域の現状なのかわからなかったです。でも、アドバイザーの方や、他の地域の方から、アイデアをたくさんもらって、ジェットコースターに乗っているみたいでした。
オンパク研修会は、参加者の思いを固める運営が上手いんですよね(笑)。オンパクに取り組みたくなっちゃう。研修会で「やります!」と言っておいて「途中で辞めました」というわけにはいかないですよね。退路を断つということと貰ったアイデアなどでだんだんと決心も固まっていきました。

-函館で他の地域の人たちとは、どのようなお話をされたんですか?

函館の研修中、10月の別府研修会でわたしたちと同じ時期にオンパクを始めることを決意した総社の加藤さんが、アドバイザーの方からのアドバイスを聞いて、泣き出して、研修会が白熱しました。「なにやらすげー」という感覚でした。次のセッションで、総社の加藤さんの姿がみえないなと思っていたら、ホテルを飛び出して海岸に逃げたと後で加藤さんから聞きました(笑)。函館の研修会は壮絶な研修会でした。本気でやっている方々の横顔を見て、先に取り組んでいる別府とか函館とかいわきの方々の話を聞いて、「オンパクをやるってこんなことなんだ。」と思いました(笑)。取り組んでいる人たちの真剣さや取り組む姿勢も伝わってきました。

-イメージも出来てきたのでしょうか?

そうですね。地域でオンパクのプログラムを体験すると、「地域を巻き込んで出来上がるこういう姿もありだなぁ~」とオンパクの輪郭がつかめてくるという感じでした。ただ、まだプログラムの作り方や組織の作り方などについては、分かっていませんよ。あくまで、都城でやる博覧会の最終イメージが膨らんできたという状況でした。

都城に帰ってきて、実行委員会のみなさんに報告して、「これから何できるかな」と考えました。その時の課題としては、まだ実行委員長が見つかっていない状況だったので、まず実行委員長を探しました。

会社に入って2年目・3年目あたりから、4半期に1度、まちづくりをしている方や行政マンと集まって飲みだしたんです。まちの色んな人と飲んで話すのがとにかく好きな面白い行政マンが呼びかけ人で、以前まちづくり会社の取締役だったというまちなかの書店の社長を中心に、まちの若い人たちなどを集めての飲み会でした。ある時、「この飲み会に新聞記者を呼んで飲み会しよう。情報を新聞社に提供する時にいい関係が出来るから役立つよね」という行政マンからの提案で、それからは毎回、記者さんと日程調整しながら飲み会をしていました。それから、新聞記者さんとの関係も出来てきました。

2008年の3月の飲み会で書店の社長さんと飲んでいた時、「今度、オンパクするんですよ!」って熱病にうなされたように言ったんです。そうすると「何のためにするの?」と聞かれたので、「まちで元気に活動する人を増やします。応援してください!」と言いました。「はぁ、わかった、わかった。君がやりたいのはよくわかった。」という感じでした(笑)。

実行委員長を探した時に、今までまちにはないタイプの試みだったので、フレッシュな人がトップに立ったほうがいいと思っていました。それでまちなかの書店の社長・中村さんのところへ、本蔵さんと一緒に行って、「実はお願いがあって来たんですけど、実行委員長をしてください!」って言うと「うん、わかった、やろう!」って快諾して頂いて、即決で話を何も聞いてない状態なのに握手してくれました。

「いいんですか?まだ何も話してないですよ。」って訊くと、「飲み会でちょっと話を聞いていたので、今日、二人が来たときから決めていた。」と言ってくださいました。ちょっと感動もので、涙が流れました。そうやって実行委員長が決まりました。

その後「じゃあ早速、プレスに情報流そう!」、「もうやるって言っちゃおう!」と、実行委員長が一気にプレスリリースを流して記者会見しました。

-実行委員長を確定する際もドラマがあったんですね。「ボンパク」をやると発表してから、何が起こりましたか?


別府から森さんが来てくれて、「これで、組織は整いましたね。早速、プログラムづくりのための関係を作っていきましょう。」と云われ、地域資源30リスティングの担い手の部分のところに名前をドンドン挙げていきました。でも、そのリストに協力関係を書く欄があるんですが、担い手の方々とほとんど関係がなかったんです。そこで、森さんが「じゃあ関係を作っていきましょう!」と言いました。「え、全部!まぁでも電話しようか。」といって、電話で色んな所にバァーッとアポ取りしました。

その後それぞれに散って行って地域の人と色々お話をしたら、「みんな集合!」という感じで、エクセルで作った表に『この人とは関係が出来た、やる気あり』、『こういうこと出来る』というようなことをまとめていく作業をしました。

-それをしていたのは佐土原さん、本蔵さん、森さんの3人ですか?

はい、3人です。

-実行委員の方はその時期どのように関わっていらっしゃったんですか?

実行委員のメンバーは基本的に別に仕事を持っていて、ボランティアで関わっていたので、関われる時間が決まっているんです。それでも週に1回位集まって、みんなでプログラムのアイデアを挙げました。プランニングシートに50ぐらいは企画案を書いてもらったんじゃなかったかな?
担い手がいる場合は、実行委員会メンバーが知っている人であれば、紹介をしてもらいました。誰も知らない場合は、こちらからアプローチしてプログラム提供者候補の方々と会っていきました。そこを詰めていくという調整を、ほぼ3人でしていきました。あとは、末永さんは地域の人をよく知っているということで、電話をかけてアポイントをとってくれました。1年目は色んな人に会いに行きましたね。

そんな中で、コンサートをやりたいという実行委員のメンバーがいました。「アーティストはいるけど、場所どこでするのよ」という話になりましたが、「場所わからないから、どっかいいとこない?」と、みんなにアイデア出してもらうと、「神社でしよう!」、「お寺でしよう!」と色んな意見を出しあいました。1つ1つその実行委員のメンバーが場所を見に行って、「なんかイメージが違った!他の場所ない?」というように詰めていきました。

-佐土原さん、本蔵さんが中心となってリストを作って潰していくなかで、サポート出来る部分を実行委員のメンバーが入ってくという感じですね?

そうですね。最初、これから何をどういう風にするのかわからずに仲間探しをしましたが、その中で参加していただいた実行委員のメンバーはありがたいです。みんなで大切にしたいこと、伝えたいこと、まちの人でこんなこと考えている人がいるよ、みたいな話題を話すと、誰かの思いをみんなで共感できていきます。そして、それをまた広げていくことが出来るんです。

-一緒に取り組む仲間の存在は大きいですね。すみませんが、第1回目の「ボンパク」に至るまでの経緯をもう少しお聞かせください。どれくらいの頻度で森さんは来ていたんですか?

森さんは2008年の4月から1ヶ月に1回くらい来ていましたが、6月位になってこれはやばいということになって、2週間に1回来て3日~1週間滞在というペースでした。5月ぐらいに森さんが来てくれて一緒に作業して、6月にまた森さんが来た時に全然作業が進んでなかったんですよ。

-それで、森さんが来る回数が増えたんですね?

はい。森さんが6月に来た時に、はじめて地域の酒造メーカーから大口の広告が取れたんです。中村委員長から「この会社の専務さん、同じ勉強会で可愛がってもらっているから、行ってお願いしてみよう!」と言っていただいて、「こんなことやるんです!お願いします!」って頼みに行くと、酒造メーカーの専務さんに「よし、わかった。」って即決してもらいました。「やったー!これで出来る!」と、委員長と帰り道、握手をしました(笑)。

-じゃあ最初の広告は結構すんなりと決まったんですね。

なんとかですね。ただ、森さんが来て、「プログラムどうですか?」と聞かれると、「うーん、そっちは進んでません…。」「じゃあ今からやりましょう!会議しましょう!」ということで、プログラム作成作業を再開しました。

-そこから1ヶ月眠らない日が続いたという話をお聞きしたのですが…

そうです。とりあえず森さんが帰るまでは充分には眠れない日々でした(笑)。でも不眠不休ではありませんよ、さすがに…。森さんが帰った後も宿題が山積みでしたね。森さんとの深夜の作業中、僕は頭からシーブリーズをかけていました(笑)。もう本当に眠むくて、その頃3人で栄養剤をがばがば飲んでいました。

-大変なプログラム作成作業だったんですね。具体的には、どのようなことを行っていたんですか?また、どの部分が一番大変でしたか?

新しい人に会って、関係を作って、企画を練る!そんな流れでした。
地域に行って話をすると、その地域の人がいくつか「ここも出来るし、ここも出来るよ」って候補を挙げてくれるんです。そうやってアイデアを出してもらって、その場所を実際に見に行って確かめ、企画に落としていくんです。ただし、話をしに行った時点ではその地域の人たちとも初対面なので、「ここからどうやって企画作るん?」みたいな感じで、そこは頭が回らなくて結構大変でしたね。ただ、どの段階も全部森さんが作ってくれたシートに落としたんです。だから結構ロジカルに進めていけましたね。

シートは、実際に時間と場所とそこで何をするかを書いて、経費がどのアクティビティーでいくらかかるかっていうのがわかるシートだったんです。
そのシートを埋めていきながらイメージして、机にポストイットいっぱい貼って並び替えて「それだったらいけるか」ということを夜のファミレスでやっていました。
ご飯食べたら、「ポストイット出しましょう!」みたいなこともありました。順番に並べて、「明日これを確かめましょう!」といって電話をして、またその地域へ行きました。もうスパルタですよ。でも、どんなに前の晩遅くても、次の朝には昨晩話したことがシートに落ちている、次の段階のシートが出来ていました。森さんはスゴイなと思いましたし、自分の地域のことなので、こちらが弱音を吐くわけにはいきませんよね。

-そういう作業があってプログラムが出来ていったんですね。最終的にプログラムを全部作り終えたのはいつ頃ですか?

最終的に全部プログラムを作り終えたのは…作り終えてないです(笑)。作り終えないで、ガイドブック制作に入ったんです。ガイドブックを8月5日位に入稿しているので、だいたい森さんが帰ってすぐの6月20日位に、企画と同時進行でガイドブック制作に入りました。

-ガイドブック制作に関する思い出深いエピソードはありますか?

ガイドブックの文章を書く時に、森さんが来て、「ここの人はどういう特徴があるんですか?」と聞くので「地域作り頑張っています。」と答えると、「それ、面白いんですか?」と言われました。「確かに、頑張っているだけでは、魅力伝わらないよね。」と、はじめはそんな感じでした。
要するに、そこの地域の特色とか、どういう体験が出来るかとか、記事を書く時にチェックするべきポイントを意識して書かないといけないと気付いたので、どういう記事が面白いかとかを研究して、こういう要素が入っていれば魅力的になるという要素を文章に入れて、チェックリストをクリア出来る文章を作っていくという作業をしていきました。

-そのチェックリストも森さんが別府から持ってきたのですか?

いいえ。別府のオンパクのガイドブック見ながら、「この文章いいね。伝わってくるね。この文章のどこの部分がいいんだろう?」と、要素を抜き出していったんです。それで、『プログラムで体験できることは具体的か?』、『注目してほしいところは明確か?』、『ストーリーがあるか?』という3項目のチェックリストを作りました。

-自分たちでガイドブックの記事作成のポイントを抜き出して、それをチェックリストにしてクリアしていくという流れで進められたんですね?

そうです。実際ガイドブックにいろんなプログラムをレイアウトして、全体像がおぼろげに見えるという段階で別府の末田さんに入ってもらって、企画とガイドブックをさらに魅力的に見せるためのアドバイスをもらいました。そのとき、まちのお肉屋さんの料理教室にスポーツジムでの運動を加えたりして、プログラムが華やかになりました。

-なるほど。プログラムとガイドブックの魅力的な見せ方は重要ですもんね。
ガイドブックを8月に入稿して、10月に「ボンパク」が実施されるまでの間はどんな作業をされていましたか?


その間はプログラム提供者の会議を2回したので、結局初年度(2008年)は3回会議をしたことになります。ガイドブックが出来る前に1回みんなで集まりましたが、それも本当に手探りでした。
「お弁当出すと人が集まりやすいですよ」という別府の末田さんからのアドバイスに忠実に、お弁当を出して、お仕事をされている方もされていない方も来られる時間帯で、昼と夜2回やりました。
会議では、最初の時間で手短に実行委員会側から伝えることを話して、あとはプログラム提供者に自分のことや自分のプログラムのことを話してもらうという運営にしました。

-会議以外には、どんなご準備を進められたんですか?

準備としては、「出来たガイドブックをみんなで配りましょう」という意識統一が必要だったので、そのための会議をやった後、それぞれがガイドブックを持って、色んな人にお勧めしに回りました。
それからの実行委員会のメンバーの活躍はすごかったですね。実行委員が、自分の地区の小さい商店やスーパーや床屋、あらゆる場所にガイドブックを置いていきました。それと同時に、実際にボンパクを運営する時のスケジュールも作りました。8月末から、ようやく予約受付のスタッフを募集して面接をしました。
また、この頃でも、まだ講師として完全に決まっていないガイドさんと歩いて、「この家は風流ですね、入ってみましょうか?」と言って入ってみて、「もし良ければお茶でも飲ませてもらえますか?」みたいな話をしたりして、プログラム詰めていました(笑)。
プログラムを作りつつ、一方では運営でどういう人が必要か、何人必要かみたいなことを考えていきました。でも実行委員会が7人しかいないので、運営が回らないんです。1人ずつプログラムのアテンドをしたら、予備の人員がいなかったんです。運営スタッフが少ないのは苦労したところでした。


※アテンド:プログラムに付き添ってプログラム運営のお手伝いをすること


-では、運営スタッフの不足で1回目では大変苦労されたんですね?

実行委員会の7人も忙しい時があって、出られる時は全面的に協力を貰っていましたが、基本的にはまちづくり会社のスタッフがお釣りや領収書などは持っているので、僕と本蔵さんが遅れると始まらないんです。実行委員の方にまるごとお任せという企画はなかったと思います。全てのプログラムで当日も僕らが現場に行って、アテンドとして入って、ガイドのフォローとお客様の相手をするという感じでした。
そういえば、もうすぐボンパクが始まるという時に、別府の末田さんから「オープニングイベントしないんですか?うちの鶴田が『都城行きたい!』って言ってるんです!」と電話が掛かってきたんです。「おいおい、オープニングイベントだってよ!予定になかったのになぁ…」と慌てました。話題作りのためにやった方がいいということだと思うんですけど、こちらは最初の運営で慌てている時に、絶妙のタイミングで電話掛かってきたんです。急いで、オープニングイベントの準備をしました。


-じゃあオープニングイベントもされたんですか?
※オープニングイベントはプログラム開催初日に実施されました。

行いました。「せっかく行くので、観光協会の会長さんとか飲み会に誘ってみられたらいかがですか?」と末田さんに云ってもらって、商工会議所の会頭、観光協会の会長、まちづくり会社の社長、ボンパクの委員長と、別府の鶴田さんと一緒に居酒屋で飲み会もしました。

「別府のオンパクから、今、僕たちの状況が見えているんじゃないか!?」という絶妙のタイミングで電話やメールが入るんです。近視眼的になっているところに、柔らかい語り口でお誘いがあるので、対応することで見えてくるものありました。出来ないと思っているのは、意識の問題で、やる気になれば、なんとか出来ちゃうんです。いろんなやり取りの中で、そこら辺をやさしく教えて頂いたんでしょうね。

-そうだったんですね。少し時間を戻しますが、予約がスタートする時はどうでしたか?

ガイドブックを配った8月頃に、「これは成功するに違いない!」と確信しました。ガイドブックが出来たことに感動して、実行委員も僕らも一生懸命配りました。「これはいつもやっているイベントとは全く手ごたえが違うぞ!」と思っているところへ、ガイドブックに予約受付の開始日が9月20日と書いてあるにも関わらず、ポツポツ電話がかかってきたんですよ。「どこでガイドブックを取られたんですか?」と聞くと、どこで取ったとか、誰々さんから貰ったとか、何に参加したいとか、何と何が楽しそうだとかいう話をしてくれるんです。その時「あぁ、これだったら集客は成功するな」と思ったわけです。

-では、その時が「これはいける!」という風に思われた最初の瞬間ですか?

最初に「これはいける!」と確信に変わったのは、その時です。2007年の12月にやるって決めた時からオンパクをやって失敗するとは全然思ってなかったですね。ただ、つくり上げるのは大変というのがありました。実際やったことがないので、あとどのくらいで今やっていることが出来るのかわからず、決めましたから。「プログラムを作って、ガイドブックにするまであとどれだけ作業があるの?」という感じでした。でも、失敗するとは全く思っていなかったです。別府のオンパク見たイメージと、ハットウ・オンパクの支援の内容が素晴らしかったので信頼していました。それが成功の確信に変わったのは、ガイドブックを作って配った後に電話が掛かりだしたこの頃ですね。

-そうなんですね。では実際プログラム実施がスタートして、何か問題になったことはありませんでしたか?一番苦労されたのはやっぱり主催のプログラムでしょうか?

主催プログラムですね。大変でした。初めてなので、お客さんが会場でどのように動くか、わからないのと、僕たちがどんな風に楽しんで貰いたいのか、ということがはっきりしていなかったんです。他の団体の方々がガイドや講師の時には、お客さんの目線で想像して、イメージできなければ、丹念に話をしていましたから、大丈夫だったんですが、自分たちの時のプログラムを後回しにしていたんです。

-そんな大変な部分もある中で、第1回目の「ボンパク(都城盆地博覧会)」(2008年10月4日~19日開催)が終わってみて、どう感じましたか?何か印象に残っていることはありますか?

お客さんとスゴく近い距離で色んな事を話せることが、「いい体験だなぁ」と印象に残っています。
最後のあたりは、5つも6つも参加してくれているおばちゃんたちと毎日会うという状況でした。
子牛の競り市見学という、プログラム実施数日前まで申し込んだ人が1人もいないプログラムがあったんですよ。そこで、他のプログラムに複数参加しているおばちゃんたちに話すと興味を持っていただいたので「最高ですよ~。行きません?一緒に楽しみましょう。」とお誘いして開催しました(笑)。ガイドをお願いしている方もいるし、都城でプログラムを提供するなら、これがしたいというプログラムだったので、開催中止は絶対に避けたいと必死で集客しました。結局7名ぐらいの方に参加してもらって開催しました。
私も行ったんですが、面白かったですね。ガイドの方が非常に熱心に説明してくださって…牛丼も食べました。最後に参加者の1人が「農家の方が丹精こめて牛を養って下さっていて、最終的に私たちが食べているおいしいお肉になるのね」と云って下さって、「やって良かった」と思いました。そういう経験をして「これは、ホントに楽しいなぁ~」と思いました。


※子牛競り市見学プログラム:JA家畜市場にて都城産の子牛が競られる様子を見学するという、第1回目のボンパクで実施されたプログラム。


そうそう、思い出しましたけど、全プログラムが終わったあと、会計が全然出来なくて、最悪でしたね。会社の金庫に、お釣りと参加料金をもらった何プログラムかのお金が残っていたんですが、そこのお金が合わないんです。精算が終わらないうちにそこから次のプログラムに持っていくお釣りを取り出していて、収支が合わないのだけれどいつ合わなくなったのかわからなくなってしまいました。もう全然合わなくて、経理スタッフに緊急出動してもらうという事態になり、いつも優しい局長もカンカンでした。

そういうことがあって、3月末まで、次回ボンパクに向けてボンパクの実施体制をどう改善するか、報告書・計画書を何度も出しました。

-じゃあその辺は2回目ボンパク(2009年10月10日~11月1日)の時はばっちり改善されて、準備もスムーズに進んだのでしょうか?

2回目は、1回目に比べると段違いにスムーズでしたし、企画面でも充実させました。2回目は、1回目のプログラムづくりのノウハウをベースに、プログラム提供者を公募したり、ビジネスチャレンジの事業者の方に広告掲載料をご負担いただいたり、まちなかのお店にボンパクオフィシャルチケットでお買い物できるよう協力してもらったりしました。まちの飲食店での晩酌セットにもチャレンジしましたね。提供者の公募は少し大変な思いもしました。プログラムを提供したいと集まっていただいた方の動機が多様で、なかなか掴めなくて苦労しました。
1回目は、何が起きるのかわからない中で、「PRになるかもしれないから参加してみようか!」とか、「こんなことやりたい!」と云ってもらった人たちにプログラム提供をお願いして行ったんです。ところが、一度ボンパクが行われたのを見て自分もプログラムを提供したいと来られる方や、ビジネスとしてプログラムを提供する人たちの動機が全く違うことが、企画担当の本蔵さんは調整が難しくて大変そうでした。

-どのように調整をされたのですか?

まずは、プログラム提供希望の方の動機をしっかり捉えることですね。プログラムを行うことでどんなことを伝えたいのか、これがはっきりするとプログラムをどんな方向性で仕立てていくかということが変わります。つまり、どんな種類のチャレンジなのかを把握することでしょうか。
次は、やはり参加する方が楽しいほうがいいし、ガイドブックの読者が「何があれば参加したいと思うか」という視点からプログラム企画を一緒に作っていきます。プログラム提供者は、参加者と近い距離で関わることで新しい気付きがあったり、ヒントをもらったりします。
ただし、最終的にはプログラムを提供する方とプログラムに参加していただく方のいい出会いの場を作るというのが、調整の一番大切なところですね。
2年目は、営利団体のプログラム提供者には広告掲載費をいただきました。ボンパクとしては、そんな提供者の方のプログラムにお客さんが来るようプロモーションするプレッシャーが加わりました。
広告掲載料の中に企画料が入っていますからね。お客さんが参加したくなる、参加できるプログラムをどう作るか、文章をどのように書くかを徹底してやらないといけませんでした。その部分が難しかったですね。

-その辺の調整はこれからの課題なんでしょうか?

いや、もうそれはクリア出来ています。1回経験したからもう大丈夫です。2回目の企画で事例がたまっているんです。プログラム企画に関してこれはミスディレクションだったっていうものに対しても、こういう時はこうしようっていうのを組織で反省しています。

あと、プログラム提供者と企画をする時のコミュニケーションが大事ですよね。このコミュニケーションが上手くいかないと、プログラム提供者の方のチャレンジの舞台が整いませんから。
例えば、企画をつくっている段階で、日頃忙しいプログラム提供者の所へ、私達が出掛けて行くと、その場で企画が進むということも体感しています。普段は、日常のことに忙しく、プログラムを作りたいと思っていてもなかなか考えられないですが、私達が伺うと、その時間はプログラムのことを考えることが出来ます。
これは、ちょうど1回目の時に私たちが進められていない時に、別府のオンパクから森さんが来ていただいて、その時間はボンパクのことを考え、推進できたという経験から来ているんです。1回目に別府に支援していただいたことがこんな場面でも役立っています。

-では、実行委員のみなさんは経験をケーススタディとして積み上げ、共有されているということでなんですね?

はい。反省会をして、みんなで起こったことを挙げて、対応するものを決めて、改善策を練っています。それを実行委員会メンバーで共有するということを行っています。

-他にも活動の向上のためにされていることなどはありますか?

オンパクの研修会に出た時に、他の地域でやっていることで、「これいいな」と思うことがあったり、他の地域のオンパクをやっている仲間に「都城ではこんなことできるんじゃない?」と言ってもらえたりするんです。
僕は、「こんなことやったら?」と言われて、イメージできたことは大概チャレンジすることにしています。毎年同じことをやっていると話題性も減っていってしまうので、違うこと・新しいことを付け加えていきたいなと思っています。でもそういうのは全国のメンバーから学んだことです。全国のメンバーも自分の地域で毎年色んなことにチャレンジしていますもんね。

僕らの新しい取組みは、ほとんど誰かから考えを頂いたもの、誰かとの間で交わされた会話からきたものですね。自分にないといけないのは、問題意識を持っておくということと、新しいことに取り組むということですね。

-誰かと交わす会話や研修会からいかに自分自身が吸収出来るかということですね。

地域でいろんな人と話をして、企画をして動いていると、小さいことから大きいことまでごちゃごちゃになっていきます。だから、全国のみんなに会った時に話すと、また新しい発見があり、そこから新しいものが生まれていきます。いろんなヒントもらえますし、新しいことを始めるときも、他の地域の方に問合せが出来るので助かります。今、取り組んでいる各地域のメンバーは、オンパクの地域づくりの理念を共有しているのもいいですね。同じ頃に立ち上げた地域の方とは、それぞれの以前の状況もお互いにわかっていますから、感慨がありますね。

-都城市に合併した後に、合併した地域間の連携をボンパクで繋げていきたいとおっしゃっていたのを以前お聞きしたのですが、ボンパクを通して実際強くなっていると感じられることはありますか?

強くなっていますよ!
プログラム提供者がボンパクで知り合った他の提供者のところへ会いに出かけて行った話を聞いたり、プログラム提供者同士が仲良くなり一緒にイベントをやったり、事務局に気になる方へ問合せしたいから連絡先を教えてくれというような問い合わせもよくありますね。そんな交流が起こっているのを聞くと『やっててよかったぁ』と思います。新聞記者の方も、私たちの事務所を訪ねてくださることが増えました。

今月(2010年)1月の市の広報誌では、表紙をめくるとぶち抜きで「魅力ある地区の特集」として都城市内のゲンキな地区が取り上げられています。秋のボンパクの時に、広報マンが来て撮った写真がそこにバーッと使われていました。広報誌に掲載されていた地域の方に電話を掛けると喜んでいて、私たちも一緒に喜びを分かち合いました。

あと、電話をしているといっぱい嬉しい知らせが届きますね。そういうのはいいですよね。
その時僕らが「今どんなことに取り組んでいます?また、新しいことやりましょうよ」とお誘いすると、次のアイデアをちゃんと考えてくださっています。お客さんにコメントしてもらったことから、新しいアイデアが生まれていて、何かが動き出したかなと思うと、嬉しいですね。

また、プログラムが終わった後に、パートナーさんにインタビューしてその内容をまとめるという活動も行っています。これは、企画しているときより楽しいかもと、私は1人秘かに思っています(笑)。何が起こってどういう変化があったのか話を聞けるので、プログラムを作っている時よりも心地よいです。その人の数ヶ月前の姿を思い出すこともありますし、何よりやる気が増大して、次にやりたいことを語っている人が目の前にいますから。ボンパクを応援してくれているスポンサー企業の方には、報告書などに付け加えてこのインタビューシートもお渡しするようにしています。

-そういう嬉しいお知らせは、次へのモチベーションにもなりますよね。2回のボンパクを終えられて、次やってみたいことや夢などはありますか?

この事業を黒字化しようと考えています。利益を出そうということではなくて、まちで回せる活動にするということです。会員制度を作ったり、協賛企業を増やしてボンパクを支えてくれる人たちに、ボンパクで起こったことや地域の変化を報告したりしながら、継続的に支援してもらいたいと思っています。意味づけとしては、ボンパク事業についてはこの活動の意義を確かめながら、実施していくというのがあるべき姿だと思っています。だから地域でちゃんと回せる仕組みを作りたいんです。

他には、この前、別府で研修会に参加した時に(2010年1月)、「今年のボンパクのテーマは肉でいくことにしました!」と宣言したので、そういう方向でいこうと思っています(笑)。1年目はプログラムの中に地域ブランドを意識したのがちょっとあったんですが、2年目は提供者拡大にかなり力を入れていたので、地域の特色をガンと出すプログラムが少し物足りなかったと感じています。だから次は「地域ブランド」で賑やかにしたいなと思っています。特産品の牛、豚、鶏はもちろん、猪と鹿を食べられるプログラムをつくるとすごいぞ!と思っています。『これぞ、都城』という素材を使ったプログラムや、都城の良さが伝わるガイドブックを作りたいですね。あとは、まちの飲食店が休日の昼間に、肉をテーマにメニューを会場で提供して、まちで一番のお肉料理を食べられるお店を決めるイベント、『肉1グランプリ』!やってみたいですね。

-お肉が勢ぞろいですね(笑)。キッズボンパクの開催も検討していると伺いましたが、そちらはいかがですか?

キッズボンパクは昨年(2009年)、ボンパク開催前の夏休みに、たちばな天文台の蓑部さんとプレボンパクしましょうということで、「手作り望遠鏡作りと天の川そうめん流し」というプログラムをしました。天文台の階段の上から10メートル以上にわたって竹をセットして、そうめん流しをしたんですが、子ども達が興奮して、楽しんでくれたり、四家という山あいの地域でのプログラムに家族で参加していた小学生と地域の小学生が意気投合して、カブトムシの幼虫を取って楽しんだという交流が生まれました。そんな楽しみや出会いをもっと作りたいと思ったんです。実行委員会の中にも、『子どもたちが地域のよさを実感できる機会をつくりたい』というメンバーもいるし、何人かのプログラム提供者(パートナーさん)に話すと、みんな乗ってくれました。いつもボランティアでボンパクを手伝ってくれる行政の方も「それはいい」と太鼓判押してくれているので、是非やりたいなと思っています。

また、合唱の指揮者の方が「少子化で子供が減って、学校の部活動や公民館の行事などの集団活動もなかなか地域でできない現状がある」とお話されていました。プログラム提供者や参加者がボンパクでの体験で学んだり、楽しんだりするように、子供たちも体験を通して、新しい楽しみを見つけたり、学んだりすると思うと楽しみです!

-これからの地域を担う子ども達に、地域の魅力を知ってもらい、地域を好きになってもらうことは地域にとっても大事なことですよね。地域への影響力の強いボンパクですが、佐土原さんにとってボンパクとは何でしょうか?

そうですね、僕らが提供している路面電車みたいなものじゃないですかね。まちなかを色んな人を乗せて走れる乗り物です。みんなが楽しんでくれて、「頑張ってね!」とか、「私こんなものが好き!」とか、そういう想いも乗せて走れる乗り物です。

昨年のボンパクのガイドブックを見ていただいた都城出身者の方で、現在は神奈川県にお住まいの方からメールをいただいたんです。表紙裏の1ページに実行委員のメンバーがラブレターを書いたんですが、そのメールには「ラブレターに胸迫る想いだった」と書いてあったんです。そして、「それにつられて全てのページに目を通し、編集者のまちづくりに対する愛情を感じた」と書いてくださいました。これは、本当にうれしいことでした。実行委員会のメンバーで喜びをわかちあいました。こんな声に後押しされて、こんな方々の想いも乗せてまた走りたい、そんなイメージです。

ボンパクは、僕にとって「完全な成功体験」ですね。苦労したし、ガイドブックができたときや予約センターに予約が殺到したとき、プログラムを全て終えたときの充実感がすごかったので、みんなと繋がった実感がありました。また、その後も興味持った方が集まって関わってくれたことでも繋がりを実感しました。2回目を始める時にボンパクに関わりたい人に向けた説明会をやったんですが、それには55人ぐらい人が来てくれました。こんなにと思うくらい来て頂いて本当に嬉しかったです。面白いですよね。

あと、最近は、ボンパクはみんなが集う広場のようでもあるなと思っています。そこでサッカーしたり、缶蹴りしたり、自分の取り組みたいことをそれぞれが出来るんですね。ボンパクは、いろんな方が思い思いに遊べるスペースや新しいことに挑戦する機会を作れる広場みたいだなと思っています。

-ありがとうございます。路面電車、集いの広場…どれも素敵な表現ですね。
では最後に、これからオンパク手法を使ってまちづくりをやりたいと思っている方にメッセージをお願いできますか?


そうですね。オンパクの話を聞いて、「面白そうだな、やりたいな」という方には是非、挑戦して欲しいです。必ずやっただけのことはあるし、拡がっていきます。
あと、まちの中の公益的な団体、まちの中間支援組織、まちづくり会社、文化施設を指定管理者として管理していたりする団体にもお勧めしたいです。僕たちの場合は、自分たち組織の活動とまちの現状の間で課題がありました。自分たちの公益的な活動が、住民の方の役に立っているのかどうか悩んでいる公益的な組織の方にはお勧めです。
少し理念の再定義をする必要はありますが、取り組むと回りだします。オンパクの考え方や手法には、人をゲンキにする考え方や取り組みやすい方法が詰まっています。一度やると、地域や組織の中で新しく気付くこともあります。そして、何よりまちのことを一緒に考える仲間ができます。動き出すと人は集まって来ますからね。
僕らはまだ2回しかやってないですが、始める前と比べると自分たちが出来ることの可能性の輪みたいなものは相当広がっていますからね。

-質問は以上です。長時間、貴重なお話をどうもありがとうございました。










(インタビューをした個人的な感想)
ボンパク立ち上げ~実施に至るまでの過程を細かくお話していただき、表からはわからない山あり谷ありな部分を知ることが出来ました。また、ボンパクはNPOでなく会社が運営しているという部分でも参考になる視点や要素が沢山あると思います。
佐土原さん自身、ボンパクでやりたいことを沢山持ってらっしゃるので、今後のボンパクに「都城色」がより濃く出てくるのではと楽しみにしています!
限られた時間の中でたくさんお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました!









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  1. 2010/09/30(木) 17:40:08|
  2. オンパク 運営組織
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